▼『金持ち課税』ケネス・シーヴ,デイヴィッド・スタサヴェージ

金持ち課税

 国はいつ,なぜ富裕層に課税するのか.今日,これほどタイムリーかつ意見の対立する問題はない‥‥20世紀の高課税は民主主義の影響だったのか,不平等への対応だったのか.本書は,過去へさかのぼり,富裕層課税の歴史が現在の状況に何を教えてくれるかを示していく――.

 ギリスで1909年に蔵相ロイド・ジョージ(Lloyd George)が提出した「人民予算(People’s Budget)」は,富裕層への課税強化を大胆に打ち出し,社会的公正を前面に掲げた点で画期的であった.人民予算は,当時の社会改革運動と歩調を合わせた,いわば階級闘争の財政的武器であった.実際,この予算案は上院(貴族院)によって拒否され,イギリス憲政史上まれに見る政治危機を引き起こした.最終的に1911年の議会法によって貴族院の拒否権が大幅に制限されるという歴史的転換点を生んだことは,必ずしも知られていない.「富裕層課税=民主主義」という今日の先入観は,ここに由来する一面を持つのである.だが,税政策が民主主義の精神を体現する手段と演繹的に主張することは,実証的に裏付けられたわけではない.

 本書が示すように,むしろ,歴史的経験を帰納的に積み重ねることで,なぜ社会はある時点で富裕層課税を強化し,ある時点でそれを放棄するのか,という政治的メカニズムを丁寧に読み解く必要がある.最長で2世紀に及ぶ20か国課税データベースを構築した著者の分析は,所得税と相続税の最高税率が時代とともにどう変化してきたのかを鮮やかに描き出す.1970年代までは先進国の多くで最高税率70〜90%という超高税率が常態であったにもかかわらず,現在では概ね40%前後にまで引き下げられている.この変化は単なる経済合理性や成長戦略の結果ではなく,社会的な支持基盤の喪失によるものである.興味深いのは,社会が富裕層への高課税を支持するのは,富裕層が国家から特権的に優遇されている,あるいは「ずるく得をしている」と感じたときに限られる,という本書の結論である.

 この視点は,民衆感情という「心理的引き金」がいかに政策を動かすかを物語るものだ.課税における公正さについての分類も,著者は説得力をもって整理する.すなわち,すべての人が同じ税率を払うべきだという「平等な扱い」論,支払い能力に応じるべきだとする「支払い能力」論,国家からの特権に応じた負担を求める「補償」論の3つである.第一次世界大戦期において富裕層が高課税を受け入れた背景には,徴兵制の適用除外という現実があった.当時,労働者階級が命を懸けて戦地に赴く一方で,多くの資本家は兵役を免除されていた.加えて,軍需産業を通じて戦時超過利潤を享受した富裕層が存在したことは,民衆の怒りを買い,結果として正当な補償としての課税強化が社会的合意を得たのである.このように,課税の支持は経済的数値よりも,しばしば道徳的感情によって動く.

公正さには多くの異なる意味があるだろうが,課税における公正さには共通する特徴がひとつある.それは,人びとは平等に扱わなければならないという考え方である.課税における市民の平等な扱いは,三つの異なるタイプに分けることができる.第一は「平等な扱い」論だ.これはすべての人が同じ率で税を払うべきだという考え方で,その理由は,これが基本的な民主的権利(各人の一票の重さは同じ,など)を模倣しているからである.第二のタイプは「支払い能力」論で,これは,支払う税の率はその人が自由に使える資源によって条件づけられるべきだという考え方になる.第三のタイプは「補償」論で,これは,支払う税率は国家が別の行動によってその人を特権的な地位に就けたかどうかによって決めるべきだと考える

 しかし,戦後の平時に移行すると,強力なインセンティブは失われ,1980年代以降の新自由主義的潮流と相まって,富裕層への課税は着実に緩和されていった.この過程で,かつてのような「高課税=公正」という単純図式は,経済のグローバル化を背景に解体されていく.富裕層への課税強化を再び社会的に支持させるには,所得格差の拡大を示すだけでは足りない.かつての総力戦時代のように,民衆が生存を脅かされるような極限状況と,富裕層が制度的に利益を独占している構図が必要になるだろう.皮肉なことに,歴史は何度も証明している――富裕層への課税は,論理や理想ではなく,社会的不満が臨界点に達したときに動く.国家はいつ,なぜ富裕層に課税するのか.本書は,課税をめぐる美辞麗句を剥ぎ取り,過去の蓄積から現在の我々がどのような局面にあるのかを冷静に教えてくれる.

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Title: TAXING THE RICH - A HISTORY OF FISCAL FAIRNESS IN THE UNITED STATES AND EUROPE

Author: Kenneth F. Scheve, David Stasavage

ISBN: 9784622087014

© 2018 みすず書房