▼『ルワンダ中央銀行総裁日記』服部正也

ルワンダ中央銀行総裁日記 [増補版] (中公新書 290)

 1965年,経済的に繁栄する日本からアフリカ中央の一小国ルワンダの中央銀行総裁として着任した著者を待つものは,財政と国際収支の恒常的赤字であった.本書は物理的条件の不利に屈せず,様々の驚きや発見の連続のなかで,あくまで民情に即した経済改革を遂行した日本人総裁の記録である――.

 在とは比較にならないほどの貧窮にあえぐ1960年代ルワンダの経済改革を記録した本書には,国家の誇りを国民に自覚させるという壮大な理念と,粘り強い実務の積み重ねが交錯する.発展のための理論的ビジョンと実際的手腕を併せ持った経済実務家,服部正也の取り組みは雄々しくも温かく,高地に吹く涼風のような清々しさを漂わせている.1965年,IMFの要請でルワンダ中央銀行の総裁に就任した服部は,アフリカ中央部の小国が抱える財政赤字,物資不足,人材難といった構造的問題に真正面から対峙する.ベルギーから独立したばかりのルワンダは,国家としての体裁を整えることすらままならず,中央銀行に保有される外貨準備は21%,大学教育を受けた人材は片手で数えられるほどだった.

 多くの日本人が高度経済成長に浮かれる一方で,服部は自ら望んでその不毛の地へと足を踏み入れた.服部の改革は,為替制度,税制,民族資本の育成,金融制度の整備といった多岐にわたり,しかもそれらを一つひとつ適切な順序とタイミングで着実に実行する戦略的な手法がとられていた.若き大統領が求めた通貨切り下げに対し,服部は「経済の土台が整わぬままでは自壊する」と慎重な立場を貫いた.冷静な判断こそが,日本で養われた戦後復興の経験に裏打ちされた洞察であり,また経済を数値の集合ではなく,社会の動的な全体像としてとらえる視野の広さを物語る.服部は赴任前,ルワンダについて知っていたのは「アフリカのどこかの小国」という程度だったと自ら回顧している.だが,現地で用いた政策は驚くほど繊細で合理的だった.

 ルワンダの小規模商業者に対して与信制度を導入し,外資系商人に依存していた経済構造を少しずつ内発的なものへと転換していく.通貨切り下げを「時期尚早」として数年先送りにした結果,国内産業が備えるまでの猶予が生まれ,長期的には安定につながった.ルワンダ滞在中に彼が発した中央銀行という国家の柱は,最終的には自国民が担うべきであるとの信念は,後の途上国支援の倫理にも通じる.1971年,政府からの慰留を受けながらも服部は自ら退任を選んだ.このとき手渡した総裁職は,当時わずか数名しかいなかったルワンダ人大学卒業者の中から選ばれた.本書が与える最大の意義は,発展途上国への経済支援とは金銭的援助でも,上からの制度移植でもなく,その国の民情と能力に応じた「構造の発見と補強」であることを伝える点にある.

 本書が語る「経済とは人である」という信念は,冷徹な合理主義に回収されがちな開発援助論への有効なアンチテーゼといえるだろうか.服部が帰国後に日本の政財界で講演を行った際,聴講した当時の外務省官僚が「現地でこれほどの信頼を勝ち得た日本人は稀だ」と述懐したという.服部が後年,世界銀行の副総裁にまで昇進したことも,知見と人格が国際社会でも高く評価されていた証である.ルワンダにおける6年間の実務は,ひとりの経済人の足跡としてだけでなく,「国づくり」という名の社会実験の成功例として記憶されるべきものである.服部正也の名は,現在においてもなおルワンダの親日感情と不可分に結びついている.財政を動かしただけではなく,人々の信頼と希望を創り出したという意味において,国際協力の信義の原点を照射する名著.

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原題: ルワンダ中央銀行総裁日記

著者: 服部正也

ISBN: 4121902904

© 2009 中央公論新社