| ソ連研究の中心地であり,満洲国建国に際して経済計画の策定に注力.日中戦争期には占領地の宣撫工作と調査活動とともに,日中戦争の行方を予測する総合調査までも担った.アジア太平洋戦争開戦後は,ビルマ・マラヤの調査までも手がけたが,関東憲兵隊との摩擦により機能停止に.満鉄調査部の活動は,いまでは「日本初のシンクタンク」と評され,そのエッセンスが戦後の経済発展やアジア研究に大きく寄与した.その全貌を明かす――. |
日本帝国主義の最前線で編成された知的集団が,いかにして近代日本の国家構想に資する思考の基盤を築いたのか.政治・経済・軍事を横断するこの部門は,戦後の官僚機構や政策立案にまで及んでいる.満鉄調査部の報告書には,現地の人々の生活や言語,消費動向,宗教儀礼まで網羅されており,その調査の緻密さは,のちの開発経済学にも通じるフィールドベースの経済学に先んじるものだった.事実,戦後に経済企画庁や総合研究開発機構(NIRA)で活躍する官僚・研究者の中には,満鉄調査部出身者が少なくなかった.彼らは敗戦後の混乱期に「帝国の知」を国内向けに転用し,日本的シンクタンクの先駆を形作ったのである.
ある調査員が記した報告書には,日中戦争の行方について「戦線拡大は持久戦に転化し,帝国の国力を圧迫する」との冷静な見通しが記されていた.これが非国民的とされ,思想犯として摘発された背景には,軍部が事実を報告する知性に対していかに神経質であったかが如実に現れている.調査部は,真実の報告が国家の敵とされる社会の矛盾を,もっとも早く体感した存在でもあった.興味深いのは,「満鉄マルクス主義」と揶揄された思想潮流である.調査部内部には,唯物史観を導入し,中国農村経済の構造を分析しようとするグループが存在し,その理論的洗練度は,当時の東京帝大経済学部よりも高い評価を受けていたこともある.とくに農村問題研究においては,毛沢東の「湖南農民運動視察報告」と比較可能な精度の報告が残されている.
マルクス主義を用いてマルクス主義に抗するという逆説的知性が存在したことは,日本的知の柔軟さの表れであり,戦後アカデミズムの中核へと転生する土壌でもあった.本書の補論では,敗戦後に満鉄調査部の資料がどこへ消えたのかが重要な論点として示されている.GHQの民間情報教育部(CIE)は,調査部の報告書を丹念に回収し,戦後占領政策の参考資料として再活用していた痕跡がある.戦前の帝国主義的知性は,アメリカによる戦後民主化政策の手助けにさえなっていたという皮肉である.この点は,「知」が誰に,どう使われるかという現代的問いを突きつけている.忘れてはならないのは,満鉄調査部の最末期における海外進出計画である.
敗戦の直前,調査部はビルマ・マラヤなど南方の経済圏についても詳細なレポートを作成しており,そこでは,戦後の経済復興と貿易拠点確保を視野に入れた提言が行われていた.調査部はすでに「戦後」を見据えていたのである.その先見性は,国家が敗れたあとにも知性が生き延びる余地を残していたことを意味する.本書は,こうした知の蓄積と断絶,転用の歴史を描くことで,国家にとって調査とは何か,知性とは誰のためにあるのかを根本から問い直す.満鉄調査部は,帝国の一部でありながら,帝国を相対化しうる知を内包した矛盾の場であった.その緊張と創造の歴史は,現在の政策研究やシンクタンク論にとっても決して過去の物語ではない.
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原題: 満鉄調査部
著者: 小林英夫
ISBN: 4062922908
© 2015 講談社
