▼『LSE物語』木村雄一

LSE物語―現代イギリス経済学者たちの熱き戦い (NTT出版ライブラリーレゾナント052) (NTT出版ライブラリーレゾナント 52)

 経済学の分野ではオックスフォード,ケンブリッジを上回る業績を誇る社会科学系大学LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス)の歴史を,経済学者ライオネル・ロビンズ(1898~1984年)の活躍をサイド・ストーリーにして紹介する――.

 ンドンのウェストミンスター区東端,オールドウィッチに位置するLSE(London School of Economics and Political Science)は,英国国会議事堂,最高裁判所である王立裁判所,イングランド銀行を結ぶ象徴的な三角形の中心に,小さなキャンパスを構えている.権力と思想の交差点に立地するこの研究機関は,1895年に設立された.出自は決して保守的な王立学会系の流れではなく,19世紀末のフェビアン協会運動に連なる革新主義にあった.設立メンバーのなかには,後に社会主義貴族と呼ばれるバーナード・ショー(George Bernard Shaw),ウェッブ夫妻(Sidney James Webb & Beatrice Potter Webb)の姿がある.かれらは武力革命ではなく,漸進的改革による社会主義実現を構想し,その理論的・実証的な中枢としてLSEを構想した.

 設立初期の教授陣も一筋縄ではいかぬ面々であった.ジェヴォンズ主義エドウィン・キャナン(Edwin Cannan),社会自由主義の代表的論者レオナルド・ホブハウス(Leonard Trelawny Hobhouse),定量研究の大家アーサー・L・ボウリー(Arthur L. Bowley)などが揃い,すでに知的実験場の様相を呈していた.LSEは社会改良と政策実証という使命を負った特異な拠点であった.本書が注目するのは,このLSEの伝統を継承しながら,同時に異なる方法論的軌道を描いた経済学者ライオネル・ロビンズ(Lionel Charles Robbins)である.ロビンズは,ケンブリッジ学派と明確に距離を取り,オーストリア学派やローザンヌ学派といった大陸系の思想を積極的に導入した.その姿勢は,1920年代から1930年代にかけてLSEに欧陸的分析哲学や数理経済学を根づかせることに寄与した.

 ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)との公共投資の有効性をめぐる論争は,経済学の方法論――ミクロ基礎 vs. マクロ総量――をめぐる根本的対立であり,後の経済学分裂の萌芽であった.LSE内でも,ロビンズはウィリアム・ベヴァリッジ(William Henry Beveridge)との確執を抱えていた.ベヴァリッジが官僚的・制度設計的なアプローチを好んだのに対し,ロビンズは理論的厳密性と市場メカニズムへの信頼を重んじた.ベヴァリッジがのちに福祉国家の礎となる「ベヴァリッジ報告書」(1942年)を執筆した際も,ロビンズの影響をほとんど受けていない点が示唆的である.注目すべきは,ロビンズが定期的に主宰した「ロビンズ・セミナー」である.

 ロナルド・H・コース(Ronald H. Coase),フリードリヒ・ハイエク(Friedrich August von Hayek),ジョン・ヒックス(John Richard Hicks),ニコラス・カルドア(Nicholas Kaldor)らが集い,切磋琢磨したLSEはこのようにして,理論的先鋭さと現実政策への接続性を併せ持つ「社会科学の鍛錬場」として機能していた.ロビンズを主軸としたLSEの知的史は,必ずしも包括的な通史にはなっていない.本書の構成は人物志向に傾いており,教育制度や学生運動,グローバル化後の再編動向などには十分に踏み込めていない印象も否めない.とはいえ,類書としてはベヴァリッジによる『ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス 激動と躍進の18年(1919~1937)』以外に選択肢が乏しい現状を思えば,本書が果たす役割はそれなりに大きい.

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原題: LSE物語―現代イギリス経済学者たちの熱き戦い

著者: 木村雄一

ISBN: 9784757122383

© 2009 NTT