▼『反中絶の極右たち』シャン・ノリス

反中絶の極右たち――なぜ女性の自由に恐怖するのか

 極右の中で白人の滅亡への恐怖は,女性の中絶を阻む意志へと直結している.超富裕層の資金を得てアメリカ政治で主流化し,欧州でも覇権を握りつつあるファシズムの最深部を,気鋭のフェミニスト・ジャーナリストが追う――.

 代における反中絶運動を,国際的な極右ネットワークが組織的に展開する政治戦略として読み解く試みである.著者は,反中絶ロビーが掲げる「胎児の生命保護」という言説が,実際には女性の身体の自己決定権を剥奪し,ジェンダー秩序を旧態依然たる家父長制へと巻き戻す意図に直結していると指摘する.この視座は,女性の権利や中絶合法化の是非を超えて,政治思想史的なリプロダクティブ・ライツ(reproductive rights)を世界的な民主主義の後退と結びつけている.本書は,反中絶の言説が米国や西欧圏の宗教右派に限られず,ロシア,ハンガリー,ブラジル,アフリカ諸国の保守政権までも巻き込み,資金・情報・人材が国境を越えて共有する国際的反権利同盟と化している事実を,豊富な事例とデータで可視化している.

 本書は反中絶運動がしばしば「女性保護」の修辞を用いる戦術に注目する.一見すれば女性に寄り添うかのような言葉が,実際には「中絶は女性の心身を破壊する」という科学的根拠に乏しい主張を拡散し,妊娠継続の強制や性的健康教育の抑制に転化されていくプロセスを,各国の政策事例から詳細に追う.この手法は,20世紀初頭の反女性参政権運動が「政治は女性を疲弊させる」と訴えたレトリックと構造的に似通っており,女性の主体性を否定する物語がいかに形を変えて存続しているかを示すものだ.本書の背後には,冷戦終結後の政治的空白を利用して台頭した文化戦争(culture war)の文脈があるようだ.1994年の国際人口開発会議(カイロ会議)で,リプロダクティブ・ライツが国際合意に組み込まれたことは,反中絶ロビーにとって長期戦の火蓋を切る契機となった.

 ロビイストは国連の会議や欧州議会でのロビー活動に資金を投じ,国際NGOの外装を纏った団体を多数立ち上げ,国際法の言語を逆手に取って生命権(right to life)を女性の権利に優先させる法的戦略を構築したのである.反中絶団体がSNS広告でAIによる胎児の3D映像,虚偽の医療情報を多言語で配信し,法規制が緩い国のサーバー経由で情報を拡散している実態がある.こうした手口は,情報戦・心理戦の領域にまで踏み込んでおり,著者はこれを「女性の身体を戦場化するデジタル版封鎖戦術」と呼ぶ.とはいえ,議論は構造的権力批判に徹しているため,個々の女性が宗教的信条や個人の倫理観から中絶を否定する立場との対話は希薄であることに本書の限界があるだろう.

 著者は,ワシントンD.C.で開かれる"March for Life"壇上に,東欧の超保守政治家やアフリカの宗教指導者が並び立つ光景を描き,21世紀版コミンテルンになぞらえているが,この比喩は,敵と見なす理念に対して世界規模で統一戦線を張る姿にほかならない.本書の出版とほぼ同時期,米国ではロー対ウェイド判決(Roe v. Wade)の覆撤が現実化し,その影響は欧州やグローバルサウスの中絶権議論にも波及した.本書の分析は,この歴史的転換点を「国際的な女性の自由に対する連鎖的包囲」の一環として位置づけ,今後のフェミニズム運動の戦略的課題を提示している.

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Title: BODIES UNDER SIEGE - HOW THE FAR-RIGHT ATTACK ON REPRODUCTIVE RIGHTS WENT GLOBAL

Author: Siân Norris

ISBN: 4750358622

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