| 2015年8月21日,アムステルダム発パリ行きの高速列車タリスが発車した.フランス国境内へ入ったのち,突如イスラム過激派の男が自動小銃を発砲.乗務員は乗務員室に逃げ込み,554名の乗客全員が恐怖に怯える中,幼馴染の3人の若者が犯人に立ち上がった…. |
アムステルダム発パリ行きの高速鉄道内で武装テロリストが乗客を襲撃しようとしたが,アメリカ人青年スペンサー・ストーン(Spencer Stone),アレク・スカラトス(Alek Skarlatos),アンソニー・サドラー(Anthony Sadler)が咄嗟の判断でこれを制圧,大規模な惨事を未然に防いだ.2015年8月21日の出来事はヨーロッパ中で英雄譚として称賛され,3人はフランス国家功労勲章を授与された.わずか3年後に映画化された本作は,実際の当事者3人がそのまま本人役で主演するというハリウッド映画では異例の構成をとり,事件に至るまでの何も起こらない時間を丁寧に描く.カリフォルニアの学校で出会い,思春期の混乱や疎外感,軍隊への志願,ヨーロッパ旅行に至るまでの歩みを,驚くほど平板なトーンで描写している.
事件発生までに約70分を費やすこの構成は,事件映画やスリラーを期待する観客にとっては冗長にも映るかもしれない.しかし,クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)の関心は,劇的瞬間のスペクタクルではなく「英雄」が形成される日常的基盤,すなわち偶然の連続と個人の価値観の積層にある.特にストーンの描写に注目すべきである.過去にADHDと診断され,周囲の大人からは問題児扱いされてきた人物が敬虔な信仰を持ち,自らの肉体を鍛え,自己変革に励む姿は,アメリカ的な自己鍛錬と信仰による救済イデオロギーと読める.劇中で何度か語られる「神には計画がある」という台詞は,偶然によって英雄になったのではなく,信仰と倫理が導いた選択であったことの示唆であろう.
「アメリカン・スナイパー」(2014),「リチャード・ジュエル」(2019)でイーストウッドが描いてきた「凡庸な男の内なる倫理」に通じる主題,本作もその一連の探究の延長線上にある.キャスティングに関しては,製作当初はプロの俳優による再現が予定されていたが,イーストウッドは実際に3人に面会し,物語を最も誠実に語れるのは本人たち自身と直感し,主演に起用したという.ドキュメンタリー的なリアリズムを強調する試みでもあるが,同時に映画的な演技の文法を著しく逸脱することをも意味した.3人の演技はしばしば素人臭く,台詞回しも硬い.しかし,それゆえに浮き彫りになる演技されていないリアリティは,現実の記憶と記録を映像として定着させようとする本作の意図と一致している.つまり,再現ドラマでありながら,演技の欠如が真実味を高めるという逆説的構造に支えられている.
撮影には,事件が起きたのと同型のThalys列車を用い,事件現場に極めて近い環境で撮影が行われた.フランス国鉄(SNCF)は治安と記憶の問題から,当初はこの撮影を懸念していたが,事件の記憶を風化させず,教育的・文化的価値を持つとの説得により,特別に許可を出したという.これにより,本作は事件の記憶を素材にとどめるのではなく,記録としての側面すら帯びることになった.映画の終盤,実際の表彰式やニュース映像がそのまま挿入され,劇映画とドキュメンタリーの境界はさらに曖昧になる.それは混乱ではなく,記録の中の真実を物語るには,事実そのものを語るのが最も正確という信念の表れである.イーストウッドはこの映画において,演出を最小限に抑え,素材そのものの倫理を最大限に引き出すという,まさに映像作家の晩年にふさわしい禁欲的アプローチを貫いた.
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原題: THE 15:17 TO PARIS
監督: クリント・イーストウッド
94分/アメリカ/2018年
© 2018 Warner Bros.
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