▼『サラ金の歴史』小島庸平

サラ金の歴史-消費者金融と日本社会 (中公新書 2634)

 利用したことはなくても,誰もが見聞きはしたサラ金や消費者金融.しかし,私たちが知る業態は,日本経済のうねりの中で大きく変化して現在の姿となったものだ.素人高利貸から団地金融,そしてサラ金,消費者金融へ‥‥好景気や金融技術の発展で躍進するも,バブル崩壊や社会問題化に翻弄されていった業態について,家計やジェンダーなど多様な視点から読み解き,日本経済の知られざる一面を照らす――.

 前の素人高利貸に端を発し,戦後の団地金融,さらに高度経済成長期のサラリーマン金融へと展開し,やがては苛烈な取り立てと多重債務の代名詞として社会問題化――「サラ金」の業態は,日本の戦後経済と家計構造,金融資本主義の周縁で脈打つ.本書は,通俗的な批判や美化に陥ることなく,100年にわたるサラ金の変遷を,「家計の裏面史」として捉え直す視座である.借り手は誰か,何のために借りたのか,資金がどのように生活と結びついていたのか.これらの問いは,従来の金融史が見落としてきた盲点であった.戦前の素人高利貸の時代には,銀行制度が整備されていないこともあり,庶民の生活資金はインフォーマルな貸金業者に依存していた.

 事業主が表向きには貸し付けを断るものの,「わしも人情がある」と言って現金を机に置き,客が持ち帰ったのを見計らって,翌日から利息の請求を始めるといったケースがあった.こうした人情の皮をかぶった高利貸は,庶民生活と不可分な関係にあったのである.1950〜60年代,団地金融という業態が登場する.当初は家具・家電の分割払い(月賦)が中心であったが,徐々に現金貸付に転化してゆく.この頃,女性をターゲットとした金融商品が登場し,台所金融という言葉が生まれる.当時の団地金融業者が主婦層を取り込むために使った宣伝文句に「あなたの夢に,月々1,000円から」があり,これは現在のリボ払いの原型ともいえるだろう.金融のジェンダー化は,この時期に始まっていた.やがて1960〜70年代には,サラリーマン層の前向きな借金――旅行やマイカー購入など,生活水準向上を目的とする支出への融資――が主流になる.

 サラ金の利用は恥ではなくライフスタイルの一部として消費社会に溶け込んでゆく.1970年代に爆発的に普及した三行広告――「すぐ貸します」「秘密厳守」「女性も安心」――などのコピーが,全国紙の紙面の隅を埋め尽くしたが,実はこの広告費こそがサラ金の拡大の駆動力でもあった.広告代理店とサラ金業者が結託し,日々の紙面が生活の借金に関する情報で満ちていたのである.1980年代に入ると,企業数は1万社を超え,"サラ金列島"と呼ばれるほどのブームとなる.店頭では和服の女性が接客を担当し,上品な金融を演出することが流行した.大手のサラ金業者がCMで採用したダンスユニットは,広告代理店がアメリカのチアリーディングをヒントに考案したもので,日本の家庭に明るい借金のイメージを与えるための戦略だったという.だがその裏では,苛烈な取り立て,私生活への介入,自殺の誘発といった闇が広がっていた.

 バブル崩壊後,景気悪化とともに,サラ金は生活費や借金返済のための借金という負のスパイラルに取り込まれていく.当時サラ金に勤務していた社員向けの研修マニュアルには「債務者は1日に3回電話せよ,出なければ夜に訪問」と記されており,いわゆる「追い込み」はマニュアル化されていた.2006年の貸金業法改正により,いわゆるグレーゾーン金利が撤廃され,業界は大きく転換期を迎える.大手銀行がこの市場に参入し,表向きは安心・安全な消費者金融として再出発した.だがその根底には,相変わらず「誰が,なぜ借りるのか」という根本問題が残されていた.今日,「サラ金」という言葉自体が死語になりつつある.だが,スマホアプリで完結する後払い決済や個人間融資などは,かつてのサラ金のデジタル変種であり,しかも法的規制の外に位置している.サラ金は呼び名や形態が変わっただけであり,資本主義の隙間を縫っていまだ生き残っている.

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原題: サラ金の歴史―消費者金融と日本社会

著者: 小島庸平

ISBN: 4121026349

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