| 早朝の民家で老人と訪問介護センターの所長の死体が発見された.捜査線上に浮かんだのは,センターで働く斯波宗典.だが,彼は介護家族に慕われる献身的な介護士だった.検事の大友秀美は,斯波が勤めるその訪問介護センターが世話している老人の死亡率が異常に高く,彼が働き始めてからの自宅での死者が40人を超えることを突き止めた.真実を明らかにするため,斯波と対峙する大友.すると斯波は,自分がしたことは『殺人』ではなく,『救い』だと主張した…. |
高齢者介護という避けがたい現実を正面から描写しつつ,その倫理的含意を問いかける作品である.表層的には連続殺人事件の法廷劇でありながら,深層には「生かされること」「生きること」の差異をめぐる哲学的考察が潜んでいる.松山ケンイチ演じる介護士・斯波宗典が42人の老人を手にかける行為は,救済(ロストケア)として提示される.介護現場で蓄積する家族の疲弊と孤独を熟知しているからこそ,斯波の言葉にはある種の説得力が宿り,狂気では片付けられない倫理的境界が浮かび上がる.
長澤まさみ演じる検事・大友秀美は,斯波の殺人行為を社会秩序の名のもとに断罪しようとする.しかし客観的には,斯波を「悪」として裁くことの難しさを痛感させられ,いわば古代ギリシア悲劇以来の正義と正義の衝突が再演されているのである.本作の原作は葉真中顕の小説『ロスト・ケア』であるが,映像化に際してはタイトルから中点(・)が外された.中点を外すことで「失われたケア」という限定的意味よりも,より普遍的に「ケアを喪失する社会全体の病理」を指し示す広がりを持たせたといえるだろうか.
本作は介護問題を扱う映画としては異例のヒットを記録し,公開当時の日本では高齢化率が29%を超えていた社会的背景とも重なり,世間の耳目を集めた.本作の本質は,介護を家庭内のシャドウ・ワークとして切り捨てる社会的態度が,やがて「人の尊厳をいかに保障するのか」という根源的な問いに直結する点にある.斯波の犯罪を一方的に断罪することは容易であるが,同時に彼を生み出した環境と「制度の狭間」が問われるべきと物語は示唆する.
斯波の大量殺人は,日本が直面する持続不可能な福祉モデルの告発ともいえ,根底には国家が人を救えないとき,誰が人を救うのかという論争的な問いが横たわっている.この矛盾を突きつけられた観客は,「制度を変えなければ斯波という存在は必ず生まれる」という不穏な予感に直面する.いや,すでに生まれていても何ら不自然はない.ここには,ミシェル・フーコー(Michel Foucault)が論じた生政治(biopolitics)の問題系が重なって見える.国家が「生を管理する」装置を整える一方で,個人の尊厳やケアの実践は周縁化され,ついには犯罪という歪んだ形で噴出するのである.
++++++++++++++++++++++++++++++
原題: ロストケア
監督: 前田哲
114分/日本/2023年
© 2023 「ロストケア」製作委員会
![ロストケア [Blu-ray] ロストケア [Blu-ray]](https://m.media-amazon.com/images/I/51ptOTVFLUL._SL500_.jpg)