■「レ・ミゼラブル」トム・フーパー

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 ジャン・バルジャンは,パンを盗んだ罪で19年間服役した後,仮出獄するが,生活に行き詰まり,再び盗みを働いてしまう.その罪を見逃し赦してくれた司教の真心に触れた彼は,身も心も生まれ変わろうと決意し,過去を捨て,市長となるまでの人物になった.そんな折,不思議な運命の糸で結ばれた女性ファンテーヌと出会い,彼女から愛娘コゼットの未来を託されたバルジャンは,ジャベールの追跡をかわしてパリに逃亡.彼女に限りない愛を注ぎ,父親として美しい娘に育てあげる.しかし,パリの下町で革命を志す学生たちが蜂起する事件が勃発….

 命の余燼がくすぶる19世紀フランスに渦巻く,貧困・疫病・労働災害・劣悪な居住環境・教育機会の不平等――それらは物語の因果を駆動する.『レ・ミゼラブル』は「法と恩寵」「制度と慈愛」の衝突を検証する巨大な社会小説であった.この二項対立が,司教ミリエルの銀の燭台からジャベールの悲劇に至るまで,全体を貫く理念的な骨格を与えている.しばしば1848年革命と混同されるが,学生や市民が築いた作中のバリケードのモデルは1832年の六月暴動である.ヴィクトール・ユーゴー(Victor-Marie Hugo)は政治的惨劇を,ジャン・バルジャンという個の救済の物語に接続することで,制度批判と魂のドラマを同一平面で奏でた.バルジャンに対する厳格な法の体現者ジャベールは,同じ社会が生んだ鏡像であり,ジャベールの断崖における選択は,法と恩寵の折り合いがつかぬ近代社会の断層である.ミュージカル版は1980年パリ初演,1985年ロンドン初演を経て世界的成功を収め,歌とモティーフの反復によって原作の主題を視覚聴覚的に演出した.

 英語版の歌詞は原曲の意匠を保ちながらレチタティーヴォ的な語りを強化し,群像の交差を音楽的に編集している.舞台装置では回り舞台と可動式バリケードが時間と視点の移動を担い,群像劇の多声性を空間化した.映画版は,音楽による編集を映画的時間へ翻訳するために,あえて極端なクローズアップとロングテイクを多用した.注目すべきは収録方式で,撮影現場でピアノの伴奏をイヤーピースで聴きながら歌唱し,その呼吸とテンポに後からオーケストレーションを合わせる手法を採った.女工から娼婦に身をやつすファンテーヌを演じたアン・ハサウェイ(Anne Jacqueline Hathaway)《夢破れて》は,破綻寸前のブレスと震えがキャラクターの崩落と同期することで,音程の正確さよりも「生の崩壊」を優先する.録音芸術の文法を映画の身体性へと反転させた実験として,観客は旋律ではなく呼吸を聴くことになる.舞台版の遺伝子を継ぐ配役の遊びも見逃せない.初代ロンドン/ブロードウェイのバルジャンであるコルム・ウィルキンソン(Colm Wilkinson)が本作ではミリエル司教を演じ,救済のトーチを次代へ手渡す構図がメタ的に完成する.

 エポニーヌを演じたサマンサ・バークス(Samantha Barks)は内的独白《On My Own》によって強力な自意識の劇場を作り出す.音楽はテーマの選別装置として働き,原作の膨大な政治・宗教・都市論のうち「恩寵」「赦し」「連帯」のモティーフを突出させる.《民衆の歌》が自然発生的に合唱される現象は,歌が物語の内側から外側へ越境する瞬間である.ゆえに本作は,原作の大衆性を拡大したのではなく,倫理的焦点距離を調整することで,近代の救済神話を21世紀の映画的身体へ移植したと言える.他方で,舞台版・映画版の成功がしばしば引き起こすのは,原作の複雑さの忘却である.パリの下水道,修道院,葬儀,街路照明――数十ページに及ぶディグレッション(脱線章)は,物語の推進を遅らせながら,都市そのものを一種の巨大な登場人物へと昇華させる.そこで語られるのは,不幸は個人の堕落ではなく,都市構造の設計不良であるという視座である.

 舞台と映画はこの厚みを背負い切れないが,自由主義と社会主義の対立を超えて,尊厳の共有という市民宗教的な核が,旋律に乗って伝播していく.異なる媒体は異なる真実を照らす.文学・音楽・舞台の三者は相互補完的であり,優劣ではなく配分の問題として理解すべきといえるだろうか.ユーゴーの「人道主義」は慈善の感傷に堕ちない.ジャベールの論理の崩壊,マリウスの政治的成熟,コゼットの保護から自立への移行――彼らは群像の一員でありながら,各自が一つの原理(法,恩寵,希望)として輝き,そして多くは散っていく.ロマン・ロラン(Romain Rolland)が『ジャン=クリストフ』で人生を大河になぞらえたように,『レ・ミゼラブル』の人物群もまた,社会という流域を刻む水脈である.悲哀の深さが普遍性を生み,普遍性が再演を促し,再演が現実の広場で歌を響かせる.怒りや絶望を超えた民衆の歓喜と生命力を感得したとき,われわれはようやく「ミゼラブル」の意味を,辞書の定義ではなく,自らの呼吸で理解するに至るのである.

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原題: LES MISERABLES

監督: トム・フーパー

158分/イギリス/2012年

© 2012 Universal Studios