| 9.11テロの犠牲者,殺人事件,死亡事故の賠償金はどのように決められるのか? 生命保険や公害対策のために計算される人命の価値とは?経済学者,統計の専門家,規制当局が駆使する「統計的生命価値(VSL)」の豊富な例をわかりやすく解説し,「人の命」とは何かという問題に向き合う――. |
生命の価値を貨幣で測るという発想は,直感的には不快感をもたらすが,政策や経済の現場では避けて通ることができない.本書は,倫理的葛藤の根底にある制度,計算方法,政治的利害の絡み合いを精緻に解き明かしている.著者は国連統計局や米国疾病対策センター(CDC)での実務経験を背景に,政府や企業が用いる人間の経済的価値の算定方法――統計的生命価値(VSL),質調整生存年(QALY)など――を,多様な事例を通して比較する.
米国環境保護庁(EPA)はかつて,65歳以上の命を若年層より低く評価する「シニア・ディスカウント」を導入し,世論の猛反発を招いた.さらに交通安全局が1970年代,シートベルト義務化を巡るコスト便益分析で,1人あたり約20万ドルという低額な生命価値を設定していたことは,いま振り返れば驚くべき割安感を伴うものだ.生命評価の起源は意外にも古く,バビロニアのハンムラビ法典や中世アイスランドの人殺しの補償金(ウィルギルド)にまで遡れるという.当時は命の価値が身分や性別によって厳格に差別化されており,現代の統計的生命価値もまた,バイアスを完全には脱しきれていない.
著者は,現代における生命評価も社会的地位・人種・国籍によって暗黙に変動している事実を,各国の裁判例や政策判断から示しているが,本書の主張は,生命の価値を金額化すること自体を否定するものではない.むしろ,評価の透明性と一貫性を確保することこそが,命を守る施策の優先順位を合理的に決定し,政策資源を公正に配分する鍵であると説く.生命の値付けは,技術的作業でありながら,政治的・文化的バイアスを内包するものだからだ.
著者は統計的生命価値の概念を現代的に再解釈し,数値の背後に潜む倫理的選択をあぶり出している.結局,本書が突きつけるのは,生命価値の算定を拒否できない社会において,誰が,どの方法で,いかなる前提のもとでその数字を決めるのかという本質的な問いである.生命の価値を数値化すること自体は確かに倫理的に不快を伴う.しかし,それが裏で恣意的に操作される方がはるかに危険であるという指摘は,冷徹ながら説得力を持つ主張である.
++++++++++++++++++++++++++++++
Title: ULTIMATE PRICE - THE VALUE WE PLACE ON LIFE
Author: Howard Steven Friedman
ISBN: 476642736X
© 2021 慶應義塾大学出版会
