▼「殿さまの茶わん」小川未明

小川未明童話集 (ハルキ文庫 お 16-1)

 ある国の陶器師が,殿さまの命で軽く薄手の高級茶碗を製作するが,殿さまは熱さに耐える日々を送る.旅先で厚手の粗末な茶碗に触れたことで,形式や見栄にとらわれた生活の虚しさを悟る――.

 声を誇る職人の技と無名の庶民の実用品との対立において,最後に権力者たる殿様が選び取るのは後者であった.この筋立ては,伝統的な説話文学の逆転のモラルに近く,児童文学でありながらも,社会的諷刺を多分に含んでいる.陶器の価値を形式的基準(薄さ)に置く権威の視点,それに反発する庶民的視点(厚手)の対置――想起されるのは,日本の茶の湯文化における価値観の転換である.

 室町末期から桃山期にかけて,千利休が推奨した侘び茶では,唐物の精緻な茶器に対し,粗野で厚手な国焼の茶碗が真の価値として見直された.殿様が百姓の厚手の茶碗に安らぎを覚える場面は,この文化史的背景を下敷きにした価値観を反映させていると読める.小川未明は英文学科出身であり,イギリスのモラル・テイルやアンデルセン童話に通じていた.西洋童話では「王様の新しい服(裸の王様)」のように,権威が虚飾に囚われる愚かさを暴くモチーフが繰り返される.

 大正から昭和初期は,日本の工芸品が輸出産業として注目され,西洋市場ではいかに軽く精巧に見えるかが価値基準とされることが多かった.つまり,薄手の茶碗を求める役人の発想は,当時の輸出主導の産業政策とも呼応しており,批判的視線が潜んでいる.最終的に殿様は,名声を得た陶工の作品ではなく,無名の職人が作った厚手の茶碗を評価する.その教訓は,実用性と真心こそが文化や社会の基盤であるという普遍的なメッセージであろう.

 名声や技巧を追い求めることの虚しさを超え,使う人の生活に寄り添うものこそが実質的な価値を持つということである.日本の茶道史,西洋の寓話,近代工芸の国際的評価といった多層的文脈を重ね合わせて読むことで,はじめて本作の真価が理解される.名声を誇る陶工よりも,名もなき職人の心遣いを尊ぶ物語は,未明自身の文学観――華やかな技巧よりも人間の真心を尊ぶ姿勢――を思わせる.

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原題: 殿さまの茶わん

著者: 小川未明

ISBN: 9784758437233

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