▼『医学史と数学史の対話』川喜田愛郎,佐々木力

医学史と数学史の対話: 試練の中の科学と医学 (中公新書 1102)

 誕生時点から現実の課題にさらされ続けた長い歴史を有する医学.その医学と医学史こそ,これからの学問のモデルだと認識した気鋭の数学史家が,基礎医学の広汎な分野で活躍し,医学史分野でも画期的な業績を上げている碩学に,医学の史的展開について問いかける.対極的な専門分野にもかかわらず,脳死等の現実的課題への対応には歴史的反省の上に立つ理性的観点が必要だ,という共通の足場を確認し合い,知的対話の有効性を実証――.

 術であるべき医を「算術」と揶揄することがある.医療が財政や効率の論理に呑み込まれつつある現代では,もはや「治す」よりも「回す」――制度や予算,数値の枠内に患者を当てはめる――が優先されがちである.医療,福祉,教育といった人間の生に寄り添う領域ほど,皮肉にも市場原理や規制緩和の口実として利用されやすい.だが,生命を扱う領域に「効率」という言葉が無批判に持ち込まれるとき,人間の尊厳そのものが取引可能なデータへと変質する危うさが生じる.理性の名を借りた合理主義が,最も非合理なかたちで人間を切り捨てていくのである.本書は,そうした逆風のなかで,医学と数学という異なる知の系譜をめぐる知的格闘を記録した対話篇.

数学はある意味ではコスモス的学問だが,あくまで現実のカオスのことを見つめながら,その学問のことを考えてゆかなければならない.その重要なことを今世紀の数学はどうも忘れていたようにも見える.その点で,医学はカオス的だが,自らが対処しなければならない現実が目の前にあるだけに,自らが置かれている学問的情況を理解しやすい

 哲学に次いで長い学問的伝統をもつ医学は,実験と錯誤を通じて進化してきた経験科学であるのに対し,数学は理論と証明によって自己完結する抽象的体系である.両者の接点は応用領域に限られているように見えるが,実は秩序と不確実性という深層構造によって結びついている.病を制御しようとする医学の営みと,自然法則を記述しようとする数学の営みとは,いずれもカオスの中にコスモスを見出そうとする人間の知の欲望の表現なのである.古代ギリシアの医聖ヒポクラテス(Ἱπποκράτης)は,病を自然の摂理として理解しようとしたが,その発想自体が数学的秩序感に支えられていた.

 近代においても,カール・フリードリヒ・ガウス(Johann Carl Friedrich Gauß)が統計分布を発見し,フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)がその統計を医療改革に応用したように,数は医の倫理と不可分であった.ナイチンゲールが考案したローズ・ダイアグラムは,戦場における死亡原因を可視化するための円形グラフであった.数字によって苦痛を訴えるというまったく新しい表現形式を創出したのである.本書が扱うのは,まさにそのような数理と倫理の接線である.著者たちは,脳死や臓器移植といった現代医療の根源的課題に向き合いながら,それを歴史的省察に裏打ちされた理性の問題として論じる.

 「理性」とは,制度的な合理化の別名ではなく,人間存在の限界を直視する勇気である.近代日本の医学史をたどると,蘭学の導入期において,すでに数学的医術への期待と警戒が共存していた.杉田玄白らの『解体新書』は,人体を「写す」ことで理解しようとした試みであり,解剖図を通して自然の秩序を数理的に把握しようとする意志があった.一方で,明治以降の医学行政は国家的な人口管理として数学を導入し,統計学的合理性が生命の価値を序列化していった.ここにもまた,仁術が算術に転じる瞬間があったのである.病を癒す技術と,世界を秩序づける理論.その二つが交わるとき,そこに現れるのは冷徹な効率主義ではなく,知の倫理と呼ぶべき新たな地平であるはずだ.

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原題: 医学史と数学史の対話―試練の中の科学と医学

著者: 川喜田愛郎,佐々木力

ISBN: 4121011023

© 1992 中央公論社