| 「人間はぬくもりと,交際と,余暇と,慰安と,安全を必要とするのである」—自然に親しむ心を,困窮生活の悲哀を,暖炉の火やイギリス的な食べ物,失われゆく庶民的なことごとへの愛着を記して,作家の意外な素顔を映す上質の随筆集.文庫化に当たり「『動物農場』ウクライナ版への序文」を収録――. |
ジョージ・オーウェル(George Orwell)という人間の生活感覚,ユーモアを立体的に浮かび上がらせるアンソロジー.小ぶりな分量ながら,紅茶の正しい淹れ方からスポーツ精神論,さらには文筆業の苦しさに至るまで,きわめて多彩な題材を取り扱っている.そこには政治的熱情と庶民的生活感覚とが二重写しとなった,オーウェル独特のスタイルが現れている.日本ではオーウェルの主要小説や代表的エッセイが比較的早くから知られていたが,「一杯のおいしい紅茶」「イギリス料理の弁護」のような軽妙な小品は,長らく紹介されてこなかった.しかし,こうした文章にこそオーウェルの「生活者」としての誠実さが表れている.
紅茶を淹れる際の細かい手順――牛乳を先に入れるか後にするかという「イギリス人最大の宗教論争」――をめぐって真剣に論じる姿勢には,批評精神の根本である日常を軽視しない態度が貫かれている.また,「ジュラ島便り」と題された一連の手紙群は,死の直前に『一九八四年』を執筆していた頃のオーウェルの肉声を伝える.スコットランドのジュラ島で療養生活を送りながら,病と貧困と孤独に苦しみつつ,それでもなお執筆に執念を燃やした姿は,聖者めいた印象を与えるが,野良猫への愛着や家の修理に関する愚痴といった,拍子抜けするほど日常的で人間臭い記述が含まれている.
「書物対タバコ」「一書評家の告白」といった文芸批評的エッセイも収められている.オーウェル研究の一側面として,思想家としての緊張感と生活者としてのユーモアとが矛盾なく同居しているエッセイストとしての評価がある.評論家V・S・プリチェット(Victor Sawdon Pritchett)は,オーウェルを20世紀最高のイギリス・エッセイストと評したが,政治的分析の鋭さに加えて,こうした庶民的題材をも気取りなく扱う自在さを指していたためであろう.本書の収録作は,重厚な思想家とは別の顔,ちょっと頑固だが信頼できる隣人としてのオーウェル像を再確認させてくれる.
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Title: A NICE CUP OF TEA
Author: George Orwell
ISBN: 9784122069299
© 2020 中央公論新社
