▼『治安維持法』中澤俊輔

治安維持法 - なぜ政党政治は「悪法」を生んだか (中公新書 2171)

 言論の自由を制限し,戦前の反体制派を弾圧した「稀代の悪法」.これが治安維持法のイメージである.しかし,その実態は十分理解されているだろうか.本書は政党の役割に注目し,立案から戦後への影響までを再検証する.一九二五年に治安維持法を成立させたのは,護憲三派の政党内閣だった.なぜ政党は自らを縛りかねない法律を生み,その後の拡大を許したのか.現代にも通じる,自由と民主主義をめぐる難問に向き合う――.

 安維持法の成立と変容の過程は,弾圧の歴史として総括されがちである.1925年,第二次護憲運動の余勢を駆って誕生した護憲三派内閣は,民本主義を標榜しながらも,革命運動鎮圧法とも呼ぶべき治安維持法を成立させた.当初わずか7条にすぎなかった法文は,1941年には64条へと拡大し,その条項群は実質的に「国家防衛法」と化した.第1条「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的」に見られるように,共産主義勢力,無政府主義の結社の制圧は,政友会の田中内閣で拡大路線が明文化された.

 政友会・憲政会・内務省・司法省の思惑が絡み合う中で,法は死刑を含む重罰主義へと肥大化し,外郭団体や出版物までもが監視と摘発の対象となった.1936年以降の運用は,戦時体制下の統制経済・国民精神総動員と連動し,思想統制の中核をなす制度的装置へと変質していく.法の運用を担った内務官僚の中には,戦後に民主化政策を推進する立場に転じた者も少なくない.戦前・戦後を分ける「断絶」は,法の担い手レベルではむしろ連続していた.

治安維持法は,暴力や革命の発生源となる結社を取り締まろうとした.しかし,本来は暴力から保護されるべき言論へと手を広げ,数多の悲劇を招いた.政党は言論の自由を守るために,共産主義思想よりもまず不法な暴力(いわれのない誹謗中傷も含まれる)を排除することを目指すべきだった

 1943年4月までに検挙者6万7,000人超,起訴者6,000人以上という数値は,異常な運用規模を示す.その多くは,実際に暴力的活動を行ったわけではなく「目的遂行ノ為ニスル行為」,すなわち思想や言論の表明にとどまっていた.国家が「目的」を根拠に処罰する――「目的遂行罪」の概念こそ,戦後の公安調査や特定秘密保護法などに影を落とす,統制法制の原型といえる.本書が提示する核心は,治安維持法を「政党政治の鬼子」と見る視点にある.議会制民主主義がその内部から抑圧装置を生み出したという説は,現代のポピュリズム的政治にも通じるものだ.

1932年以降,治安維持法の起訴理由は第1条に集中し,協議罪や扇動罪は形骸化する.そして,目的遂行罪が本格的に活用される.…中略…治安維持法はあくまで「結社」取り締まりが主で,目的遂行罪は本丸の日本共産党を狙う際の露払いとして機能するはずだった

 治安維持法による直接の死刑判決は存在しなかった.しかし,死刑なき殺人法としての実態は残酷である.拷問による獄死,精神崩壊,家族の社会的抹殺――これら統制の副産物は,紙上の条文以上に国家の暴力性を露呈した.治安維持法が制定された1925年は,ラジオ放送が始まり,普通選挙法も同時に公布された年である.すなわち,表現の自由とその抑圧とが同時に誕生した年なのである.

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原題: 治安維持法―なぜ政党政治は「悪法」を生んだか

著者: 中澤俊輔

ISBN: 4121021711

© 2012 中央公論新社