| ゲーテ,ワシントン,マッカーサー……歴史を彩ったフリーメイソンは数知れない.『魔笛』に描かれた,密儀参入と人間完成への希求.古代と近代,神秘と科学,人間と神をつなぐネットワーク.フリーメイソンを,西欧思想の系譜に,鮮やかに位置づける――. |
フリーメイソン(Freemason)という語は,文字通りには「自由な石工」を意味する.この語が,国際的陰謀や秘密政治の代名詞として誤解されてきた背景には,18世紀ヨーロッパの政治的激動があった.フランス革命において啓蒙と陰謀が混同され,ドイツ・バイエルンの啓明結社(イルミナティ)と結びつけて理解されたことで,フリーメイソンは神秘と恐怖の象徴に転化された.こうした誤解は,近代ヨーロッパの宗教的寛容と科学的合理主義が,保守的勢力の目には破壊的な秘密結社と映ったことを示している.17世紀,イギリスのウィンザー城建設に従事した石工たちが,自らの技術と権益を守るために結成したギルド組織が,やがて理念共同体へと変質していった.
宗派対立が激化する中で,共同体は啓蒙思想を体現するサロン的空間となり,科学主義・神秘主義・道徳主義が混淆した独特の思想体系が誕生する.そのシンボルが,ピラミッドに刻まれた「万物を見通す眼」である.アメリカ合衆国の1ドル紙幣の裏面に描かれていることは有名だが,この意匠は国家建設と神の摂理の合一を示唆するものであった.ジョージ・ワシントン(George Washington),ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)をはじめとする大統領13人がフリーメイソンであったとされ,アメリカ建国理念にメイソン的普遍主義――宗派を超えた理性・自由・博愛――が埋め込まれているともいわれる.本書は,この組織を人間と神をつなぐネットワークとして再考している.
『ウィルヘルム・マイスター』に描かれたフリーメイソン精神――そこには「塔の結社」というフリーメイソンをモデルとする組織が登場し,主人公ウィルヘルムの自己実現を助ける.……ウィルヘルムはやがて,こうした理想の実現を求めて,同志とともに新大陸アメリカへの移住を決意する.ウィルヘルムは小説の中の人物であるが,彼の目指すアメリカでは,新しい理想国家の実現のための活動は着々と進められていた.そして,アメリカという現実の国家建設において重要な役割を果たしたのも,フリーメイソンであった
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の歌劇《魔笛》において,タミーノとパパゲーノが通過する試練の儀礼――3つの和音――は,フリーメイソンの入会儀式を再現したものである.火と水をくぐる通過儀礼は,死から再生へという神秘思想の演出,人間が理性と徳によって神に近づく過程の寓意化である.フリーメイソンは19世紀以降,慈善団体・親睦クラブとしての性格を強め,今日では医療・教育・福祉の分野における社会貢献で知られている.しかし,ロッジ(集会所)で行われる秘密の合言葉や握手の儀式など,秘儀的な構造をいまだ保持している点に,開かれた秘密結社という逆説がある.
日本においても,戦後の憲法草案作成に関わった連合国軍総司令部(GHQ)の一部高官がメイソン会員であったことから,日本国憲法にフリーメイソン精神が息づいているとする議論がある.自由,平等,友愛という三原則は,確かにその理念と響き合う.著者が提起する「フリーメイソンとは近代という世俗化時代に登場した一種の疑似宗教ではなかったか」という視点は鋭い.神を喪失した近代人が,理性と秩序の中で新たな"超越"を求めたとすれば,フリーメイソンの儀式や象徴は,宗教なき宗教の試みとなる.それは啓蒙の陰に潜む"神秘の形而上学"の残響,理性の時代における信仰の亡霊ともいえるのである.
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原題: フリーメイソン
著者: 吉村正和
ISBN: 9784061489301
© 1989 講談社
