■「切腹」小林正樹

切腹 [Blu-ray]

 時は寛永七年.井伊家上屋敷に芸州福島の浪人,津雲半四郎と名乗る男が姿を現した.「窮迫の浪人生活で生き恥を晒すより,潔く腹を掻っさばいて相果てたいゆえ,玄関先を拝借したい」.その申し出を受けた井伊家家老の斎藤勘解由は,かつて同じように訊ねてきた千々岩求女という浪人がいたことを想い出していた.切腹を迫る勘解由.切腹を前にして,半四郎の口から語られる驚愕の物語とは….

 飾に覆われた武士道の欺瞞を暴く悲劇である.利他を装いながら己の体面を守るために他者を犠牲にする武士の姿を,静謐な構成と緻密な回想法で炙り出した本作は,倫理の形骸化を問う.橋本忍の脚本は,「羅生門」(1950)の多層的構造をさらに深化させ,語りの順序と静寂の間合いを緻密に計算している.小林正樹もまた,武士道の冷酷さを表現するために,能のような静謐さと象徴性を帯びた画面構成を採用した.

 武満徹の音楽は,琵琶の単音が余白の静寂を切り裂くように響き,観る者に「死の音」を聴かせる.この琵琶は武満が日本の古典音楽家・鶴田錦史に演奏を依頼したもので,映画音楽史上でも稀に見る試みであった.カンヌ国際映画祭で「HARAKIRI」の題で上映された際,観客の反応は激烈だった.竹光による切腹の場面では,介錯を遅らせて苦悶する求女の姿があまりに生々しく,女性観客が気絶したという.だが,その残酷さは,武家社会の「体面」という名の冷血な制度を照射するために不可欠であった.

なるほど求女は血迷うた.しかし,よくぞ血迷うた.拙者褒めてやりたい.如何に武士と言え,所詮は血の通う人間,霞を食って生きていけるものでもない.求女ほどの男でも,土壇場に追い詰められれば妻子ゆえに.いやよくぞ血迷うた!仮借なき幕府の政略の為,罪なくして主家を滅ぼされ,奈落の底に喘ぎうごめく浪人者の悲哀など,衣食に憂いのない人には所詮わからぬ

 津雲の復讐は,名誉を盾に人間性を殺す社会への告発である.彼が井伊家の鎧兜を蹴り倒し,悪鬼のような形相で刃を振るう姿は,武士道という幻想への葬送曲であり,死後もその怒りは井伊家の虚飾を打ち砕いてゆく.斎藤が「病死」として事件を揉み消すエピローグは,形式だけが生き残った武士社会の末期的症状といえるだろうか.ただし,前半の静的な構成と回想の交錯に比べ,後半の立ち回りはやや動に勝ち,作品全体の緊張がわずかに弛緩する.

 最後まで「静の美学」を貫いていたなら,より純粋な倫理的悲劇となったであろう.それでも,武士の矜持を問う姿勢と社会批判の射程の深さにおいて,映画史の中でも特異な輝きを放っている.余談だが,撮影を担当した宮島義勇は,かつて黒澤作品で光と影の対比を極めた名手であり,本作でも格子戸の影や障子越しの光を用いて「封建の檻」を象徴的に描いた.また,本作の成功を受けて,同じ橋本・小林コンビは4年後に「上意討ち 拝領妻始末」(1967)を製作し,再び武士道批判の主題を変奏した.

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原題: 切腹

監督: 小林正樹

108分/日本/1962年

© 1962 松竹