| 家庭を奪われ,財産を奪われた男の戦慄すべき復讐の物語! 九州の西岸にあるS市の旧家大牟田家のあるじ,子爵の敏清は,当時18歳の美女瑠璃子を妻とし,親友川村義雄と三人でしあわせな日をおくっていた.しかし,川村と瑠璃子の邪恋の犠牲となり,敏清は地獄岩から落とされた.しかし敏清は墓所の穴蔵に入れられた棺の中で息をふき返したのであった.暗黒の世界にとじこめられた恐怖は,敏清の黒髪をしらがに変えてしまった――. |
原典はイギリスの女流作家マリー・コレリ(Marie Corelli)『ヴェンデッタ』.これを黒岩涙香が『白髪鬼』として翻案し,さらに江戸川乱歩が昭和初期に再翻案したという三段構造をもつ.異文化と異時代を経由して物語が変質しつつ生き延びた過程の翻案文化である.コレリは当時「大衆文壇の女王」と称されたが,今日では文学史の主流からはほとんど顧みられない.
とはいえ,そのセンセーショナルな作風は,新聞小説に翻案する際にきわめて適合的であった.涙香は翻訳小説を実録的に提示する手法を得意とし,読者に海外文学をあたかも現実の物語として享受させている.連載開始に際し「死して蘇生した男の自伝を入手した」と予告した仕掛けは,読者を欺く新聞文学特有の演出であり,連載の爆発的な人気を支えた要因となった.
乱歩がこの涙香版を再翻案した1931年は,探偵小説が大衆娯楽の一大ジャンルとなりつつあった時代である.しかし涙香の文語体はすでに時代遅れであり,若い読者には受け入れ難い.乱歩はそこで,少年時代に熱中した涙香版を現代語に書き直すと同時に,猟奇性を強調する改変を施した.とりわけ「墓中で蘇生し,恐怖のあまり白髪となる」という劇的なモチーフは,乱歩作品に一貫して見られる異常心理や屍体の幻想に通じている.
『モンテ・クリスト伯』に通じる復讐劇の枠組みを踏まえつつも,主人公を怪奇の化身として造形した点に,乱歩的変奏の妙がある.春陽堂文庫には戦前の段階で涙香版と乱歩版の双方が収録され,乱歩版には「乱歩の白髪鬼」と冠されていた.春陽堂書店は,同じ題材を異なる時代に翻案した二作を並置することで,比較読みという文学商法の仕掛けを企てたのである.翻案が翻案を呼ぶ連鎖は,文学におけるオリジナリティ概念を根底から問い直す問題系でもあった.
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原題: 白髪鬼
著者: 江戸川乱歩
ISBN: 4394301645
© 2018 春陽堂書店
