■「太陽はひとりぼっち」ミケランジェロ・アントニオーニ

太陽はひとりぼっち [Blu-ray]

 恋人と別れたヴィットリアは,別離の後の倦怠を癒せないでいた.そんな彼女は,投資家の母が株取引をしていることから,証券取引所に勤める美貌の青年ピエロと親しくなり,新しい愛を始めようとするが….

 ラン・ドロン(Alain Delon)が銀幕で最も光り輝いていた時期の作品.破滅へと傾く「太陽がいっぱい」(1960),「若者のすべて」(1960)に対し,本作のドロンは,クールビューティーとして名を残すモニカ・ヴィッティ(Monica Vitti)に翻弄され,女の真意を測りかねて戸惑う青年を演じている.ヴィッティの純白のワンピースとドロンの黒の装いとの対比は,洗練された体躯をもつ男女の美貌,だがそこに宿るのは,互いに侵入を拒む精神と,情感のすれ違いである.ヴィッティが演じるヴィットリアは,誰にも心を開かず,執着もしない内面をもつがゆえに求愛の対象となりうる存在である.

 刹那的に恋に身を投じることがあっても決して没入しない.自らの感情を「曖昧に保つ」ことが生存戦略であり,他者からの信頼を積極的に獲得しようとする姿勢も見られない.それを是としているのか否かは終始明かされず,観客は彼女の行動原理を解読しようとしながらも,決定的な核心には触れられない.そうした不可解さこそ,現代人の疎外の本質であろう.個人的な愛の不毛を超えて,1960年代初頭の建築・経済・文化のアーキテクチャーが人間の精神構造をどう反映させるかという問題を描いている.

 マネーゲームに狂う母,幾何学的で冷たい近代住宅群,アフリカ文化の模倣物として消費される娯楽,核競争について踊る新聞の見出し――いずれも進歩的でありながら,どこか底冷えのする虚無感を孕んでいる.人工物と自然物は並置されながらも和合せず,前衛的なオブジェが立ち並ぶ街角の傍らで,微風にそよぐ木の枝やドラム缶に溜まった水が存在しても,互いが響き合うことはない.異物同士の酵母の欠如こそ,ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)が捉えた近代の精神風景である.とりわけラスト7分は鮮烈な名場面である.

 ヴィットリアとピエロの姿が消えたまま,街の断片が淡々と積み重なり,人間の気配が途絶える.原題"L’eclisse(蝕)"が示すとおり,ここに描かれるのは愛の不在による「精神的な日蝕」,観客は人間同士の断絶を凝視させられる.まるで面白味のない映画だが,乾きすぎた精神は,枯渇に対する願望すら失っていることを示している.悲しみとも失望とも違う,何ともやるせない印象.孤独に対する評価を常識的なロジックで理解しようとするから,妥当な価値判断が下せないということになるのだろう.愛し合い抱き合っても心の空虚は埋まらない.

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原題: L' ECLISSE

監督: ミケランジェロ・アントニオーニ

124分/イタリア=フランス/1962年

© 1962 Cineriz, Interopa Film, Paris Film