■「その土曜日、7時58分」シドニー・ルメット

その土曜日、7時58分 [Blu-ray]

 ニューヨーク.一見,誰もがうらやむ優雅な暮らしをしていた会計士のアンディは,離婚し娘の養育費もまともに払えない弟ハンクに禁断の企てを持ちかける.それは,実の両親が営む宝石店への強盗計画だった.その土曜日,7時58分.最悪の誤算を引き金に,次々にあらわになる家族の真実.そして,急速に追い詰められていく2人の運命は….

 もが眉を顰める親殺し,子殺し,きょうだい殺し.家族の愛や絆は,かくも脆いものだったのかと疑いたくなるほど,荒涼たる虚しさに満ちている.シドニー・ルメット(Sidney Lumet)の円熟した演出力を理解するうえで重要な位置を占める.ルメットは「十二人の怒れる男」(1957)で,民主主義と正義の微妙なバランスを硬質に描いた.その半世紀後に本作が製作された事実から見て,社会派ドラマの技法と現代的な凶悪犯罪描写のギャップはあまりに大きい.

 兄アンディが弟ハンクにもちかけた「誰も損害を被らない」犯罪計画では,両親経営のブティックを襲撃しても,保険で損失は補填され,死傷者も出さないはずだった.しかし,計画は子供だましのごとく破綻する.家族の擬態された信頼関係の脆弱さの演出は,ギリシア神話や旧約聖書に通じる普遍的な悲劇構造を想起させる.デルファイの神託に従うオイディプス王,弟アベルを殺した兄カイン,息子イサクを試す父アブラハム──人間は原罪を抱え,神の声のもとに自らの罪と向き合わざるをえない.

 本作の悲劇性は,家族間の嫉妬と怒りによって増幅される.頭脳明晰で社会的成功を収めた兄に対する弟の嫉妬,父の愛を一身に受け容貌に恵まれた弟に対する兄の憤怒.これらは,家族の絆を引き裂き,取り返しのつかない悲劇を生む.一方で,父は二人の息子が犯罪者に成り下がるなど夢想だにせず,事態が発覚しても他罰による清算を試みるのみ.この構造は,家族が唯一の安心の場であると同時に,最も冷酷な裁きの場にもなり得ることを示唆する.

 ルメットは晩年になっても現場撮影にこだわり,セットよりも実在のロケーションで撮影することで俳優の自然な緊張感を引き出す手法を貫いた.本作でも,ニューヨークのブルックリンやクイーンズの実際の店舗で撮影されており,犯罪計画の現実味と心理的圧迫感が直に伝わる.恐怖の芽は誰にでも潜在し得るものであり,社会に放擲される個人の不安を癒すはずの家族が病理的に損壊する構図こそ,人に戦慄を与える.ルメットの視線は決して慈悲的ではない.人間が負わされた原罪の業,家族という最後の砦がいかに脆いものであるかを,円熟した語り口で静かに問い詰めるのだ.

その土曜日、7時58分 [Blu-ray]

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原題: BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU'RE DEAD

監督: シドニー・ルメット

117分/アメリカ=イギリス/2007年

© 2007 CAPITAL FILMS LIMITED