| 船を乗り継ぎ,砂漠をよぎって,日本人として初めてエルサレムを訪れ,後にローマに学び司祭となった実在の人物・ペトロ岐部.この破天荒な訪欧大旅行は,イエズス会等の組織の保護なしに,個人の自力で成し遂げた,日本人としても最初の快挙だった.やがて彼はキリシタン弾圧の荒れ狂う日本に立ち戻り,使命に生きたのだが――. |
日本の精神史において「信仰とは何か」を問う宗教的探求の書は数多い.本書は,ペトロ・カスイ岐部の生涯を通じてその問いを突きつける.遠藤周作の『沈黙』が"神の沈黙"という内的苦悩を扱ったのに対し,本書は「信仰の実践」を極限状況で体現した人物を描く.その意味で,『沈黙』の神学的前史であると同時に,その補完でもあるだろうか.ペトロ岐部は,17世紀初頭のキリシタン弾圧が激化する日本から,あえてローマへ向かった.しかもそれはイエズス会の庇護を受けない単独行で,当時の地理的・宗教的常識を超えた.
マカオからゴア,ホルムズ,バグダード,さらにエルサレム――旅路は宗教史上まれに見る壮挙である.日本人として初めて聖地エルサレムを踏破した岐部は,後に「日本のマルコ・ポーロ」と称されることになる.司祭叙階を受けたローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂は,現在もローマ教皇の「司教座聖堂」として格式高い場所である.東洋人として初めてその祭壇に立った岐部が接したヨーロッパは,宗教と理性が真っ向から衝突する激動の時代だった.所属を希望したイエズス会は,同時代にガリレオ裁判にも関与していた知的集団であった.
何のために苦しい旅を続けるのか.いつかは捕まり,殺されることも確実なのだ.しかし,いかなる苦渋にみちても肩から人生の十字架を棄ててはならぬ
帰国後,岐部は幕府の徹底的な弾圧の中で潜伏し,信徒を励まし続けた.やがて捕らえられ,棄教したクリストヴァン・フェレイラ(Cristóvão Ferreira)――『沈黙』の司祭のモデル――と対面する.岐部は逆にフェレイラへ改宗を勧め,己の信仰を貫いて殉教した.この対峙は,遠藤が長年取り組んだ「弱き信仰者の救い」という主題を,史実から取り出し昇華させるものであった.遠藤周作はこの作品で,キリスト教を日本的精神との交錯点に置いて描いた.幕府が秩序を守るために銃を取り,岐部が魂を守るために十字架を負う.岐部の出身地・大分国東半島は,古来より神仏習合の聖地として知られ,宇佐八幡信仰の影響下にあった.
宗教的混淆の土地から生まれた司祭となる岐部は,西洋の神を日本の土に根づかせようとした最初の人であり,むしろ"沈黙を破る者"として描かれている.ペトロ岐部は2008年,他の187名の殉教者とともにローマ教皇庁によって列福された.本書は,信仰と歴史と倫理の交差点に立つ岐部の壮絶な旅路を通して,宗教的献身の裏で踏みにじられる「苦行の道」を,淡々と告げている.苦行の果てに残るのは,奇跡ではなく祈りであった.遠藤周作が岐部の殉教を通じて描いたのは,人間がいかにして"棄てずに生きるか"という一点だったように思われる.
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原題: 銃と十字架
著者: 遠藤周作
ISBN: 4093522405
© 2015 小学館
