| ヤジ排除から見えてくる警察組織の法的根拠のない権力行使の問題,それを監視すべきメディア,ジャーナリズムの弱体化,そしてそもそも自由にものを言うという全ての人に与えられた権利が,安倍元首相の死亡事件をきっかけに加速度的に萎縮してしまうのではないか?という不安などさまざまな側面が本作には盛り込まれている.これはもはや,ある選挙の応援演説中に起きたいち騒動ではない…. |
日本における言論空間の緊張を提起する記録である.国家権力と市民の表現行為が決定的に交錯するのは,政治演説の現場でヤジを発した市民が「排除」される瞬間だが,排除がもたらす同調圧力の生成,市民による自己検閲――ニュースの不特定多数の匿名コメント――まで踏み込む.本作の取材は現場志向であり,ディレクションは感情的な扇動を避け,証拠の積み上げによって議論を構成する.
現場映像,当事者の証言,警察の運用に関する断片的な記録を慎重に編み合わせる編集手法は,調査報道型ドキュメンタリーの伝統に沿う.北海道放送報道部道警ヤジ排除問題取材班は,4年間にわたりこの問題を追求し続け,映画はライブ・ドキュメンタリーとしての性格を持つ.映像の連続性を保ちながら,検証可能なファクトを段階的に提示し,観客に判断を促す構成は,ドキュメンタリーにおける主張と証拠のバランスを巧みに管理する.取材班が問うのは,声を出して政権に訴える市民に対し,警察がいかなる法的根拠に基づいて「排除」という行動を取ったのかという問いである.
同種の「抗議の抑圧」は国際的にも議論されるテーマでもある.欧米では「囲い込み」や抗議行為に対する大規模な規制が長年問題視されてきたが,本作が描く「政治的な声」への迅速な介入は,比較政治学的に見て特異な緊張をはらんでいる.外国メディアは,日本の選挙現場の静けさを「民主主義の沈黙」と批評したが,本作はその静けさを乱す現象を追跡し,静けさが必ずしも秩序や成熟の証ではないことを示す.結果として問いかけられるのは,民主主義が機能するために必要な摩擦やノイズを社会がどのように許容するかという命題である.
手法的には,長回しのショットや現場の生音を活かすことで,観客にその場の空気を体感させることを優先している.シネマ・ヴェリテやダイレクト・シネマの影響を感じさせるアプローチであり,「表現の自由」とは法律上の権利である以前に,社会的に再生産される慣習という洞察を生んでいる.慣習は紛争や摩擦を通じて持続し,摩擦を消し去ることは結果的にその慣習の破壊につながる.本作はこのメカニズムを現場のローカルな事象から逆推する形で示しており,観客は不快な問いと直面するだろうが,その問いこそが民主主義を鍛える栄養といえるだろうか.
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原題: ヤジと民主主義
監督: 山崎裕侍
100分/日本/2023年
© 2023 HBC/TBS
