■「ブラス!」マーク・ハーマン

ブラス! [DVD]

 鉱山閉鎖に揺れ動くイングランド北部の小さな街グリムリー.街では炭坑で働く男達のブラスバンドグループ,グリムリー・コリアリー・バンドが結成されている.音楽に全情熱を注ぐリーダーで指揮者のダニーは,活気を取り戻そうとブラスバンドの全英選手権に出場するつもりだった.しかし失業の恐怖に脅かされたメンバー達はダニーのように熱心には取り組めない….

 ッチャリズムの強烈な後遺症にあえぐイングランド北部の炭鉱町は,産業構造転換の最前線である.サッチャー政権はインフラの民営化と金融市場の規制緩和を断行し,ケインズ主義を葬り去り,労働組合への締め付けを強化した.1984年の炭鉱ストライキ崩壊後,1990年代初頭までに25万人以上の炭鉱労働者が職を失った.炭鉱は産業革命以来の基幹産業から「不要な遺物」へと転落したのである.映画に映る煤に塗れた男たちの表情は,マクロ経済学の教科書では決して語られない,失業の痛苦を現している.

この10年来,政府は産業を破壊してきた.産業だけには止まらず,共同体や家庭生活を,発展の名に借りたまやかしの為に.大勢が職を奪われたばかりか,大会に勝つ意欲や闘う意志までが失われた.しかし,生きる意志すら失ってしまえば,それは最も悲惨です

 労働者たちは時代の変換点を理解している.石炭産業が斜陽であることも,自分たちの子が炭鉱に未来を託せないことも承知している.だが,政府が閉鎖を一方的に通告し,組合は牙を抜かれ,退職金の上乗せで沈黙を買おうとする――卑劣な政治手法こそが,怒りの真の源泉である.炭鉱コミュニティにおいて無言の屈辱は暴力よりも深く人を蝕み,尊厳を奪われた沈黙は,世代を超えて地域社会の精神を侵食していく.団員たちは失業や家族問題で崩壊寸前でありながら,《ダニー・ボーイ》《アランフェス協奏曲》《ウィリアム・テル序曲》を演奏し続ける.

 演奏される楽曲はいずれも追憶や抵抗を象徴するものであり,劇伴としての意味が極めて強い.ロイヤル・アルバート・ホールでの優勝は,救済にはなりえず,終わりの始まりをより鮮明にするだけである.大会後,曇天に覆われた帰路を進む団員たちが《威風堂々》を奏でる場面は,国家的行進曲をあえて「敗者の凱旋」として鳴らす.帝国の栄光を讃える旋律が,帝国に切り捨てられた者たちの口から奏でられる――「鉄の女」の名が労働者の口に上るたび,彼らは唾を吐き捨てたという.政治的憎悪は,共同体の集合的記憶として刻み込まれている.

 自由市場や個人責任という理念は,それ自体が必ずしも共同体の崩壊を必然とするわけではない.急激な構造転換が地域社会への配慮なく強行されるとき,経済合理性は人間の尊厳と正面衝突する.生き甲斐は職を創出しないし,経済政策の代替物にはなりえない.しかし時に,生き甲斐は職の喪失を生涯耐えうる形に変える力を持つ.彼らの演奏は,評価や成果を超えた次元で,存在することの意味を問い続けている.資本の論理では測定不可能,しかし確かに存在する人間の抵抗である.

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原題: BRASSED OFF

監督: マーク・ハーマン

107分/イギリス/1996年

© 1996 Channel Four Television Corporation and Miramax Film Corp.