| 十四世紀中葉,黒死病とよばれたペストの大流行によって,ヨーロッパでは三千万近くの人びとが死に,中世封建社会は根底からゆり動かされることになった.記録に残された古代いらいのペスト禍をたどり,ペスト流行のおそるべき実態,人心の動揺とそれが生み出すパニック,また病因をめぐる神学上・医学上の論争を克明に描く――. |
地中海の港に停泊した一隻の帆船が,史上最悪の疫病「黒死病」をヨーロッパにもたらした.1347年から1351年の4年間で,ヨーロッパ人口の約3分の1にあたる数千万人が命を落としたと推定される.農民も貴族も王族も,疫病の前では等しく死んだ.14世紀当時,黒死病の原因については多様な仮説が唱えられた.占星術的現象,火山活動や地震による有毒ガスの発生,神の怒りという宗教的解釈――当時の説明のほとんどは迷信や思弁的推測に基づいていた.この中で科学的真実に最も近づいていたのが,古代ギリシャ医学に由来する瘴気説――腐敗した物質から発生する見えない空気が,呼吸や接触を通じて体内に入り病気を引き起こすという理論――であった.これは革新的な仮説ではあったが,真の病原体が特定されるには,19世紀末まで待たねばならなかった.
1894年,北里柴三郎とアレクサンドル・イェルサン(Alexandre Yersin)が同時期にペスト菌を発見し,ネズミのノミによって媒介される動物由来感染症(ズーノーシス)であることが明らかになった.最初の流行は黒海沿岸のカッファで記録されたが,ジェノバ商人がイタリア本土へ避難する際,すでに感染したネズミやノミを持ち込み,疫病は地中海沿岸全体に急速に拡散した.その後,当時拡大していた海上貿易網を通じて,ペスト菌は1日約38キロの速度で運ばれ,商業都市から近隣の町村へ,さらには農村部へと伝播していった.巡礼路も重要な伝播ルートとなり,主要聖地は地域内・国内・国家間の感染拡大の中心地と化した.感染から発症までは16〜23日の潜伏期を経るが,発症後はきわめて急速に進行する.リンパ節の腫脹,嘔吐,頭痛,高熱による戦慄,せん妄状態など,複数の症状が同時多発的に現れ,3〜5日で死亡に至るケースも多かった.
中世における敗血症性ペストと肺ペストの致死率は,ほぼ100%であったとされる.「すぐに逃げよ,遠く去よ,遅く帰れ」――当時の一般的助言は,逆に疫病の拡大を加速させた.経済的余裕のある者たちが田舎に避難する際,すでに感染していた者や感染者と同行していた者が,それまで疫病とは無縁であった遠隔地の村々に病気を持ち込んだのである.黒死病による人口激減は,深刻な労働力不足をもたらした.生き延びた労働者は高い賃金を要求できるようになり,労働者を支配してきた中世社会構造は揺らぎ始めた.一方,広大な農地が遊休化し,英国だけでも約1000の村が完全に消滅した.かつての肥沃な耕作地の多くが牧場へと転換されたと同時に,地方から都市への大規模な人口移動が起こり,都市は比較的速やかに経済的回復を遂げた.羊毛取引などの商業活動が活性化し,新たな活力を取り戻したのである.
ペストは社会の精神的紐帯と宗教的パラダイムにも深刻な変化をもたらした.神の怒りを恐れた人々は教会への寄付を急増させ,聖ロクス(Rochus)や聖セバスティアヌス(Sebastianus)といったペスト守護聖人への信仰が広がった.しかし疫病は,社会的差別と迫害も激化させた.ユダヤ人に対する集団的非難と暴力が各地で頻発し,1348年のバルセロナではキリスト教徒によるユダヤ人居住区への襲撃事件さえ起きた.疫病は神の審判という宗教的解釈と結びつき,スケープゴート化されたマイノリティへの暴力を正当化する論理へと転化してしまったのである.ペストによる人口減少からの回復には約200年を要し,16世紀になって初めて人口増加が軌道に乗った.長期にわたる社会的混乱の中で,封建制度の衰退と市民的自由が進行し,商業資本主義の萌芽が成長したのである.
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原題: ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊
著者: 村上陽一郎
ISBN: 9784004202257
© 1983 岩波書店
