| 今世紀初頭,ロンドンのブルームズベリー地区に在るスティーヴン家で,若い知識人たちの定期的な集いがもたれるようになった.彼らは激動する時代に背を向け,新しい感性のあり方を模索した.その特権性・独善性ゆえに批判されながらも,彼らはやがて絵画,文学,批評,学問などの場で独自の仕事をなして世の耳目をひくことになる……ケインズ,ストレイチー,ヴァネッサ,ヴァージニア姉妹の織りなした,友情と別離の青春を綴る――. |
20世紀初頭イギリスにおける最も特異で,かつ誤解されやすい知的サークルの内実を,ある姉妹の人生を軸に描き出した知的評伝.選ばれた者たちの内輪的遊戯として批判されてきたブルームズベリー・グループだが,本書はその特権性を隠蔽することなく正面から引き受けたうえ,メンバーの思想と実践がいかに時代と拮抗していたかを冷静に跡づける.物語の起点として置かれるレズリー・スティーヴン(Leslie Stephen)の死,それはヴィクトリア朝的知の権威が次世代の感性へと引き渡される断絶であった.死後に始まったゴードン・スクエアでの集いは,制度化された大学やアカデミズムから距離を取りつつ,私的空間を知的実験の場へと転換する.
交わされた議論は,後年の著作や絵画の「原稿以前」にあたる生の思考そのものだった.ヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell)の結婚と芸術的自立を描く章は,ブルームズベリー的倫理を鮮明にする.彼らは結婚制度や性規範よりも,感情の忠実さを制度よりも上位に置いた.ヴァネッサは,夫クライヴ・ベル(Clive Bell)と距離を保ちつつ,ダンカン・グラント(Duncan Grant)との生涯にわたる共同生活を選んだ.一方,クライヴの唱えた「有意味な形式」理論は当時としては過激であったが,後期印象派展を媒介としてイギリス美術界に形式主義的視点を定着させた点で,私的放談に終わることはなかった.
ロジャー・フライ主導の後期印象派展は,本書における一つの転換点である.ポール・セザンヌ(Paul Cézanne),ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)に対する激しい反発,美術観をめぐって当時の新聞評には「精神的野蛮への退行」とまで書き立てたものがあるが,その野蛮性こそ,ブルームズベリーにとっては近代の感覚を刷新する契機にほかならなかった.ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)の結婚は,しばしば彼女の精神的不安定を克服するための逃避として語られる.しかし本書は,レナード・ウルフ(Leonard Woolf)との関係を看護と庇護の物語に還元しない.ホガース・プレスの設立は,創作と出版,私生活と公共圏を結びつける実践的同盟であった.
ホガース・プレスが最初に出版したのは自作ではなくロシア文学の翻訳である.ここにもブルームズベリー・グループの国際主義的視野がうかがえるが,第一次世界大戦を挟む「良心的徴兵忌避」「平和の帰結」は,ブルームズベリー・グループが現実逃避的であったという通俗的理解を静かに覆す.本書が描くブルームズベリー・グループは,友情と裏切り,創造と挫折が交錯する,きわめて人間的な集団である.彼らは時代に背を向けようとした訳ではなく,時代の粗雑さを引き受けるために距離を取ったにすぎない.その結果として生まれた文学や絵画,理論が今日なお読み継がれ,参照され続けているという事実こそ,ブルームズベリー・グループの歴史的意義といえるはずだ.
++++++++++++++++++++++++++++++
原題: ブルームズベリー・グループ―ヴァネッサ・ヴァージニア姉妹とエリートたち
著者: 橋口稔
ISBN: 4121009169
© 1989 中央公論新社
