▼『格差社会とたたかう』後藤道夫,吉崎祥司〔他〕

格差社会とたたかう: 〈努力・チャンス・自立〉論批判 (現代のテキスト)

 新自由主義政策のなかで拡大する絶対的格差と貧困.他方での格差容認・生き残り競争へと煽る言説の流布.その実態とイデオロギーを批判的に解析し,克服に向けた課題を提示――.

 助,自立,努力,機会――肯定的に響く言葉の群れは,格差を擁護し再生産する機能を持つ.19世紀フランスでも自己責任(responsabilité individuelle)は貧困対策の後退を正当化する修辞として用いられていた.当時のフランスでは産業革命による都市貧困層の急増に直面しながら,「各人は自らの境遇に責任を持つ」という言説が公的扶助の削減を支えた.現代日本はそれをより巧妙な形で反復しているが,決定的な違いがある.19世紀には少なくとも労働運動という対抗言説が力を持ち始めていたのに対し,現代日本では労働組合の組織率が17%台にまで低下し,対抗的な言説空間そのものが痩せ細っていることだ.統計が示すのは明瞭な傾向である.高額所得者層は着実に増加する一方,所得税・法人税の累進性は弱められた.

 所得税の最高税率は1980年代の75%から現在は45%へと引き下げられ,法人税率も1980年代の約43%から23.2%へと半減した.再分配機能の縮小と並行して,生活保護申請者・受給者は増え続けている.国民健康保険料の滞納率がこの10年で2割以上も上昇している事実は,努力や自立の有無とは別次元で,制度そのものが人々を困窮へと追いやっていることの証左ではないのか.本書の中心的主張は,努力しても報われない「下層」が,政策によって意図的に形成されているという点にある.下層には「努力不足」という道徳的非難が向けられ,上層は賞賛される.中間層には努力次第で上昇も転落もありうる物語が与えられ,それは希望としても恐怖としても作用する.「機会の平等」は理念としては掲げられながら,実質的には空文化している.

 アメリカの経済学者ラジ・チェティ(Nadarajan "Raj" Chetty)らの研究(2014)は,アメリカにおいて親の所得が下位20%の子どもが上位20%に到達する確率はわずか7.5%であることを実証的に示したが,日本でも同様の「世代間所得弾力性」の硬直化が進行している.第二章・第三章における「努力」「機会平等」の概念史的検討は,特定の時代と政策に規定されたイデオロギーであることを明らかにする点で読み応えがある.第四章の「自立支援」論も示唆に富む.福祉国家が前提としてきた「支えられながら生きる人間像」から,新自由主義が要求する「自己責任で立つ人間像」への転換は,支援の名のもとに排除を正当化する.サッチャー政権下で唱えられた"There is no alternative(TINA)"という言説が多用された1980年代,イギリスでは失業率が10%を超え,貧困率は急上昇していた.「代替案はない」という断言は,現実の困窮を無視する修辞的暴力として機能していたのである.日本の格差政策も同様に,国際的な新自由主義の潮流の中に位置づけられる.

 「自立」という言葉の欺瞞性は,それが常に既存の社会インフラに依存していながら,その依存を不可視化する点にある.高額所得者も道路・治安・教育制度という公共財に支えられているにもかかわらず,自らの成功を純粋に個人の能力に帰属させる認知の歪みが,累進課税の緩和を正当化してきた.ただし,結論部において労働組合運動や特定の政党に期待を寄せる記述については,慎重な留保が必要だろう.分析の冷静さに比して,処方箋が特定の政治勢力に依拠している印象は拭えない.しかしそれは本書の価値をそれほど減じるものではなく,読者にどのような回路で格差と対峙するのかという問いを投げ返す.ピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu)が指摘したように,支配的な言説は象徴的暴力として,支配される側にその支配を自然で正当なものとして受け入れさせる.「努力」「自立」という言葉は,まさにそうした暴力の洗練された形態であり,本書はその機制を丁寧に解剖している.

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原題: 格差社会とたたかう―〈努力・チャンス・自立〉論批判

著者: 後藤道夫,吉崎祥司,竹内章郎,中西新太郎,渡辺憲正

ISBN: 4250207021

© 2007 青木書店