■「フライド・グリーン・トマト」ジョン・アヴネット

フライド・グリーン・トマト HDマスター [DVD]

 20世紀前半のアメリカ南部で,フライド・グリーン・トマト(グリーン・トマトのフライ)を看板メニューとするカフェを運営していた二人の女性イジーとルース.この二人の女性が辿った数奇な運命を,年老いた女性にニーが人生をあきらめかけた平凡な主婦エヴリンに物語り,彼女の現状に変化を与えていく….

 年主婦イヴリンが,老人ホームで出会った老女ニニーの語る南部の物語に自身を重ね,凝り固まった日常を再生してゆく.劇中で語られるもうひとつの軸――カフェを営むイジーとルースの友情,秘められた愛情――は,過去と現在をゆるやかに並走させながら,女性の主体性とは何か,選択の自由とは何かを描く.抑圧されたアメリカ南部の家父長的価値観,連帯の力が田舎町の〈小さな出来事〉の中に凝縮されている.作品の魅力は,明るさと痛みが同居する語りの調子にある.

 フラッシュバックという技法は通常サスペンスや劇的回収に使われがちだが,本作では過去を解き放つように柔らかく波紋のように作用する.現在のイヴリンは,自信を喪失し,家庭内でもガラスのように透き通り,存在感すら希薄だ.しかし,イジーの破天荒な生き方,ルースの秘めた強さを聴きながら,自らも変わり得る存在だと気付き始める.老人の回想は,語りかける相手の内面を揺り起こす〈刃物のない武器〉となる.語りと聴き手が共鳴するとき,経験は世代を跨ぎ,血縁を超え,記憶は他者を変える力へと転化する.

 原作"Fried Green Tomatoes at the Whistle Stop Cafe"ではイジーとルースの絆が明確な同性愛的関係として描かれている.映画版では90年代初頭のハリウッドの倫理基準ゆえに,関係性が意図的に曖昧にされたが,視線や距離,互いへの気遣いの細部にその名残が宿っている.語られないことが,かえって雄弁であるという例であろう.噂の中心となる「バーベキュー事件」が示す〈罪と赦し〉の構造は南部の黒人コミュニティの助力なくして成立せず,人種関係のねじれと深層の優しさが入り混じった複雑な風土が覗く.劇中で登場する「グリーントマトのフライ」は,南部のソウルフードとして古くから親しまれていたが,この映画のヒット以後,全米規模で人気料理となり,家庭料理本に掲載されることが増えた.

 優雅なノスタルジーだけでは終わらせない点に道徳的成熟がある.過去は消えず,人の手で再び温め直され,現在に供されうるということだ.老人ホームの一室から始まった語りは,観客自身の記憶の井戸を深く覗き込み,忘れられた勇気を掬い上げる.過ぎ去った人生の欠片は,緑のトマトのように未熟で酸いかもしれない.しかし,揚げ油にくぐらせ,塩を振れば驚くほど甘みを増す.その味は,もう一度やり直せるという希望にも似ている.物語は語り継がれ,思い出は料理のように温め直される.人生もまた同じである.

++++++++++++++++++++++++++++++

原題: FRIED GREEN TOMATOES

監督: ジョン・アヴネット

130分/アメリカ/1991年

© 1991 Act III Communications