▼『帝国のヴェール』荒木和華子,福本圭介〔編〕

帝国のヴェール――人種・ジェンダー・ポストコロニアリズムから解く世界

 人間を抑圧しつつ,それを隠蔽するもの……「帝国」は人種,ジェンダーなどによる見えない障壁,ヴェールを土台に自らを構成している.例えば黒人に貼りつく孤立や苦しみが,白人の側からは不可視のままになっているように.ヴェールに隠された人間の叫びに応答するための,ラディカルな幕開けの書――.

 ・E・B・デュボイス(William Edward Burghardt Du Bois)が1903年『黒人のたましい』で提示した「ヴェール」概念は,いまなお批評理論の基盤であり続けている.デュボイスが描いた「二重意識」――自己を他者の眼差しを通してしか捉えられない分裂した主体性――は,植民地化された身体,ジェンダー化された存在,性的マイノリティ,東アジアの周縁化された主体にも共通する構造的条件なのだろうか.本書が示すのは,「見られる」ことによって規定される経験が,帝国という権力形態の本質的メカニズムということだ.序章で導入される「人種資本主義」概念は,セドリック・ロビンソン(Cedric Robinson)らの議論を経由しつつ,BLM運動によって再び焦点化された分析枠組みである.

デュボイスは,その主著『黒人のたましい(The Soul of the Black Folk)』(一九〇三)の冒頭において,二〇世紀初頭の「帝国」をつくり上げている肉眼では見えにくい「障壁」の存在を「ヴェール」という言葉で呼んだ.これが実際に意味するのは,国境を越えて広がる「カラーライン」(皮膚の色による境界線)なのだが,デュボイスは,「ヴェール」という言葉を使って,「帝国」の土台を形成する世界の分断と特定の人間への抑圧を比喩的に表現したのである.デュボイスによれば,黒人たちの生は,目には見えない何かによって,押し込められ,閉じ込められ,声を奪われている.目には見えない「障壁」が黒人たちの存在には貼りついており,その「ヴェール」がもう一つの世界から黒人たちを断絶させているのである.他方,マジョリティである白人側からは,そのような黒人たちの孤立や苦しみが見えない.黒人たちの生には,「ヴェール」がかかっており,白人の世界からは不可視化されているのである

 資本主義が歴史的に常に「階層化された身体」を前提としてきたという認識――奴隷制下の黒人,移民労働者,植民地の労働力は,資本蓄積の条件であった.本書はこの構造をアメリカに限定せず,世界史的スケールで再配置する点において射程が広い.第I部では,アメリカ帝国形成期におけるジェンダーと人種の絡み合いが検証される.「真の女性らしさ」に関するイデオロギーの分析は鋭い.19世紀に流通した観念は,白人中産階級女性の徳性を理想化しながら,黒人女性を構造的に排除する機能もあった.奴隷制廃止論者たちでさえこのイデオロギーから自由ではなかったという事実は,人道主義的運動もまた帝国の視線から免責されないことを示す.フリー・ラヴ思想を扱った2章では,19世紀にすでにロマンティック・ラヴと結婚制度の矛盾が激しく論争されていたことが明らかにされる.伝統的家族制度が実は19世紀に資本主義的労働分業と連動して急速に形成された比較的新しい制度である,という指摘は小さくない驚きを伴う.

 第II部は,ポストコロニアル理論とクィア批評を架橋する領域に踏み込む.インドにおけるゲイ観光の分析は,グローバル化が性の政治をどう変質させるかを具体的に示す好例だ.「都市の安全性」という言葉が国家や産業によって戦略的に動員され,性的マイノリティの空間が観光資源として商品化されるプロセスは,文化的解放の外観をまといながら新自由主義的包摂を進めている.解放と商品化が背中合わせである構造は,現代のLGBTQ+言説における盲点を露わにする.FGM(女性器切除)を論じた章では,映画「母たちの村」(2004)への言及を通じて,外部からの非難だけでは不十分であり,内在的なジェンダー規範,とりわけ「男制」を揺るがすアプローチが不可欠だと論じられる.ここにも帝国的フェミニズムへの批判が伏在しており,西洋の基準を一方的に押しつける危険性が指摘される.第III部は東アジアに焦点を移し,帝国日本の残響が戦後国家形成にどう影響し続けてきたかを解きほぐす.

 「基地引き取り運動」を扱う12章は,沖縄をめぐる植民地主義が現在進行形で日常に埋め込まれていることを突きつける.この運動が応答しているのは,基地負担を沖縄に押しつける構造――日本社会に横たわる無意識の帝国性――である.読者は,自らがどのように帝国の一部として振舞っているのかという不快な問いに直面することになる.本書全体を貫く強みは,個別の事例が理論的射程を持ち,異なる地域・時代の帝国的構造を相互参照可能にする点にある.人種・ジェンダー・資本主義・国家・観光・家族・法律・メディア――一見無関係な領域が,帝国という装置のなかで密接に連動している.帝国を批判することは,自らが内面化した帝国性を問い直すことに他ならない.その苦痛に耐える覚悟を持つ者にとって,ヴェールは,私たち自身の知覚を制限するフィルターであり,それに気づくことこそが批評の起点となる.本書はそのフィルターを外すための,知的にも倫理的にも要求度の高い装置になりうるだろうか.

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原題: 帝国のヴェール―人種・ジェンダー・ポストコロニアリズムから解く世界

著者: 荒木和華子,福本圭介〔編

ISBN: 4750352950

© 2021 明石書店