2006年のイスラエル.映画監督のアリは,友人のボアズから26匹の犬に追いかけられる悪夢の話を打ち明けられる.若い頃に従軍したレバノン戦争の後遺症だとボアズは言うが,アリにはなぜか当時の記憶がない.不思議に思ったアリは,かつての戦友らを訪ね歩き,自分がその時何をしていたかを探る旅に出る.やがてアリは,ベイルートを占拠した際に起きた「住民虐殺事件」の日,自分がそこにいたことを知る…. |
過酷な記憶に「蓋」をしなければ,人の精神は耐えられない場合がある.トラウマと海馬の器質変異の研究で示されてきたように,大脳辺縁系の異常活発が前頭葉の前頭連合野の機能を抑圧し,フラッシュバックや幻覚を呼び起こす.そのようにして起きた現象を,ドキュメンタリーとは異質のアプローチと看做されてきたアニメーションで,ドラスティックに描き出す.アリ・フォルマン(Ari Folman)は,その手法を“アニメーション・ドキュメンタリー”と名づけた.
Adobe Flashと3D,古典的なアニメーション技法を融合させた新たなる効果は,シュールで暗い色調でありながら,想像と記憶の境界で生起する世界観を鮮烈に印象付ける.黄土色の海,散乱した死体に群がる蝿,女の巨人にしがみついて離れない兵士――記憶と潜在意識の産物を,画面全体に妖しく表現する.フォルマンは,1982年のサブラ・シャティーラの虐殺に居合わせていた19歳の自分を,24年かけて発掘する.当時の戦友を訪ねて歩き,レバノン戦争の記憶を呼び起こす陰鬱な作業.
臨床精神科医の親友が,フォルマンの両親が収容されていたアウシュヴィッツに言及するくだりが重要なファクターとなる.イスラエルはナチスの迫害を非難する立場にあったが,パレスチナ人の難民キャンプ,サブラとシャティーラに攻め入る行為を正当化する矛盾を孕んでいた.安息の地を奪われ繰り返されたポグロム,女性や子どもを含め数千人に及ぶ非武装パレスチナ人の虐殺――被害者/加害者側面をもつイスラエルを,等価で考えることの葛藤から逃れることはできない.19歳のフォルマンは,記憶を抑圧することで個人の自我を保とうとした.
真実を突き止めるため,人の手で「描き込まれた」フォルマンがいかに苦悩し,呻吟しようと,鑑賞者はアニメーションであることに安心感をもって眺めている.それを痛感させるのが,虐殺当時のニュース映像.戦場ではファインダー越しに確認する「死」に実感が湧かず,記憶は辻褄合わせに自由自在に姿を変える.戦局と平時,過去と未来のいずれにおいても歪みのみられる「記憶」の指摘.本作は,純然たる反戦メッセージを,独創的なアプローチで装飾している.
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原題: VALS IM BASHIR
監督: アリ・フォルマン
90分/イスラエル=フランス=ドイツ=アメリカ/2008年
© 2008 Columbia/TriStar