■「時計じかけのオレンジ」スタンリー・キューブリック

時計じかけのオレンジ メモリアル・エディション (初回限定生産/2枚組) [Blu-ray]

 ロンドンの都市.秩序は乱れ,治安状態は悪化し,性道徳は退廃の極にあった.そして町には夜な夜な少年ギャングの群れが横行していた.これは,そんな少年のひとり,〈強姦と超暴力とベートーベン〉だけに生きがいを求めるアレックスの物語である.15歳のアレックスを首領とするディムとジョージーの一味は,その夜も街で暴れ廻っていた.まず手始めとして,酒ビン片手に橋の下で酔いつぶれている1人の老いた浮浪者を,ステッキやコン棒で殴ったり蹴ったりして袋だたきにした.暴虐の限りをつくして爽快になったアレックスたちは,別の獲物を求めて去ってゆく….

 代文明と現代管理社会への根本的批判を提示したテオドール・アドルノ(Theodor W. Adorno)は,哲学や芸術といった人間の真善美を社会批判に関連させた.本作の原作者アンソニー・バージェス(Anthony Burgess)もまた,人間の内面を社会の体制に映し出すことが可能と考えていた.文学者であり言語学者でもあったバージェスは,ロシア語の影響を強く受けた英語を基礎とする人工言語「ナッドサット」で原作を著した.様々な言語の形態をこよなく愛したバージェスは,俗世間で用いられる言葉が絶えず変化する特性をもっているということ,また現状の文法慣習も錆びていくことも予測していたのだという.古語,廃語,卑語に生命力を与え,容易には踏み荒らされない構築言語で語るべき世界は,労働から解放され,一定の生活保障も享受できる機械的に管理されたユートピア.その退廃感に膂力を持て余す反逆児アレックスは,徒党を組み,夜な夜な強姦と超暴力に興じる.麻薬入りミルクを愉しめるミルクバー,だらしなく延びた客たちの中で,不敵な笑みを含むアレックス/マルコム・マクダウェル(Malcolm McDowell).

 生命力の象徴“オレンジ”は劇中に登場するものではない.アレックスら賊の狼藉は,無機質な近未来で生々しい人間性を刺激し,確かめ合っているように見える.仲間の裏切りで逮捕されたアレックスは,刑期の短縮のため「ルドビコ療法」の実験台を買って出る.これは瞬きを禁じ,暴力映像に過剰に曝されることで暴力を受け付けなくなる体質改善療法であった.マクダウェルは,このシーンの撮影時に角膜を傷つけられ,一時的な視覚障害に陥った.釈放直前の狂乱シーンでは肋骨にひびが入り,さらにかつての仲間から水責めに遭うシーンでは,撮影用空気パイプの故障から呼吸障害を起した.そのようにしてアレックスは体現された.性転換前のウェンディ・カルロス(Wendy Carlos)によるシンセサイザー処理のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンLudwig van Beethoven)《交響曲第9番》,エドワード・エルガー(Edward William Elgar)《威風堂々》,ジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Antonio Rossini)《泥棒かささぎ》.

 破壊行動の最中や合間に流れる荘厳な調べである.どれが欠けても,映画の印象は大きく異なったことだろう.アナログ多重録音によるシンセアンサンブルのインパクトは,絶大であった.さらに劇中,異色の役割をもたされた音楽は,アレックスが陽気に口ずさみながら女性を強姦する《雨に唄えば》.これは,当時マクダウェルが歌い通せる唯一の曲であった.この場面で異常なBGMが必要と考えたスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)は,マクダウェルの素養を採用したのである.バージェスの「ナッドサット」は,一般化されていない言語で語られる作品と現実との「距離」を意味すると同時に,時代や国の別で隔てられない「不変性」を強く意識した意味伝達装置である.人間の暴力性は,安穏と抑制できるものではない.しかしアレックスを取り巻く社会関係の寒々しさ,それは暴力を助長する十分な条件をもったものだ.

 暴力描写を世に問うことをキューブリックは意図していなかったと思われるが,本作の模倣を思わせる暴力事件がイギリス内外で発生したため,キューブリック本人の要請により1973年全ての上映が禁止となる.彼の他界した1999年,ようやくイギリスで上映が実現した.ところで,キューブリックの関与以前,本作の版権はたった500ドルでミック・ジャガー(Michael Philip Jagger)に売り渡されていた.アレックスをリーダーとするギャングを,ローリング・ストーンズの面々が演じるという奇抜な案も実在した.「自然と文明との融和」の機能不全が,ユートピアの諷刺には多く用いられてきた.本作は,そこに押し込められ悲鳴を挙げる「人間性」の陰影部を誇大に切り取り,演出して見せたのである.

スタンリー・キューブリック

芸術には暴力がつきものだ.聖書にもホメロスにもシェイクスピアにも暴力は登場する.そして多くの精神科医がそれらは模倣の手本としてではなく,カタルシスとして役に立っていると考えているんだ.今まで芸術作品が社会に危害を加えたことは一度も無い.逆に社会に対する危害の多くは自分たちが危険とみなした芸術作品から社会を守ろうとしてきた者達によってなされた.映画やテレビが無垢な善人を犯罪者に変えかねないなんていうのはあまりにも安楽的な発想である

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原題: A CLOCKWORK ORANGE

監督: スタンリー・キューブリック

137分/イギリス/1971年

© 1971 Warner Bros.

▼『アテナイ人の国制』アリストテレス

アテナイ人の国制(アリストテレス) (岩波文庫 青 604-7)

 一九世紀末,エジプト出土のパピルス写本としてその全容が明らかになるや,たちまち古代ギリシア研究者の間で珍重されるに至った根本史料.政治学の祖ともいうべきアリストテレス(前三八四―三二二)の手によって前七―五世紀のアテナイ政体の変遷,前四世紀の徹底した民主政治の機構と運営がつぶさに記述される.詳注を付す――.

 リストテレス(Aristotelēs)とその学派は,各ポリスや周辺異民族の国制を158の国制誌で編纂したと考えられている.古代・中世の学者による引用は200を超え――68か国223篇におよぶ引用断片――編纂された大部は動乱や混迷の内に散逸していたが,1890年ナイル川河畔の砂漠地帯からほぼ完全なパピルス写本「アテナイ人の国制」が発見され,大英博物館写本部によってわずか1年後には復元・校訂本が発行されている.これによりアテナイ史のみならずギリシア国制史全般のテキストは大幅にアップデートされたという.

 マケドニア支配時代の新国制として成熟した民主制を論じた本書は,アテネの徹底した直接民主政が理想的な政治形態に近いことを詳細に述べる.前508年には,市民の家産(オイコス)を相続できるのは正妻の子に限られ,内妻の生んだ子に相続権は認められなかった.オイコスはポリス民主政の行政単位であるデモスを構成し,デモスは従来から存在した自然村落を基礎としていた.

 橋場弦(1997)『丘のうえの民主政―古代アテネの実験』(東京大学出版会)によれば,専制君主政や貴族政ではない,「民主政治というスタイルをギリシア人が最初に発見し,意識化し,制度化したことの世界史的意義」は大きい.新しい評議会(五百人評議会)を構成する評議員は,各デーモスの人口に比例して選出されたと推定され,比例代議制のはじまりであると考えられている.一方,「民主政」における"市民権"は,18歳以上の成年男子のみに与えられ女性,在留外人,奴隷には認められなかった.

 アリストテレスは,様々な役人――穀物価格の監視官,度量衡の監督官,会計検査官など――が市民の中から抽選で決定する様子を本書で詳述している.権限の停滞を防いだわけだが国防を担う将軍職については,経験を重視して抽選制をとらなかったことを明かしている.アテナイ民主政の成立と制度運用の実際は,今日の民主制からすれば歪で不合理な面も多々見受けられる.しかし民衆裁判所における多数決,公職者の抽選制や弾劾裁判などによって独裁政治を予防する民主政治の基盤を形成したアテネの国制を発達初期から紀元前5世紀末にいたるまで跡づけた「アテナイ人の国制」は,国制誌の筆頭である.

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Title: Ἀθηναίων πολιτεία

Author: Aristotelēs

ISBN: 4003360478

© 1980 岩波書店

▼『数学流生き方の再発見』秋山仁

数学流生き方の再発見―数学嫌いに贈る応援歌 (中公新書)

 大学入試の数学に自信のない受験生やその父母の中には,数学の才能は特別で,これは遺伝によるものと諦めている人が多い.ところが,そうではない,数学的な能力は日常生活をキチンと送れる能力と大差はないのだと著者は力説する.そのため,映画の主人公「寅さん」や一流の数学者に登場願い,その生き方と能力を分析し,また一味違う例題の解法と解説を通して,数学嫌いの読者にやる気と自信を引き出してくれるのが本書である――.

 ーター・フランクル(Péter Frankl)の自伝には,秋山仁との協働,そして友情の決裂が哀しみをもって綴られている.日本に在住しメディアの露出が増えてきた頃,秋山からの連絡は途絶え,共同で数学研究に打ち込んだ日々は過去のものとなっていった.1986年に箱根で開催された「第1回日本グラフ理論および応用に関する会議」では,2人で知的刺激に満ちた準備を進めたはずではなかったのか.

 秋山の書籍に登場する自分の「紹介」は,決して好意的なものでなかったことに衝撃を受けた,とフランクルは自伝に書いた.その書籍というのが本書である.前半部から中盤にかけては,映画「男はつらいよ」シリーズの寅さんが愚鈍に見えて,案外数学的には無能ではないこと,バレにくい嘘のつき方,ナンパの成功率などの与太話が続く.後半部の最後に,数学に生きる人々の1人としてフランクルが登場する.一読して,好意的でないばかりか悪意に満ちた記述であることは瞭然.

 秋山はグラフ理論,離散幾何学に関する多数の論文を発表し,組合せ数学の国際専門誌「Graphs and Combinatorics」の編集委員長を務める力量をもつが,学問的執着心以上に嫉妬心の強さを窺わせる.信じがたいほど数学研究にあらゆる犠牲を払う生活様式をもって,学問的貢献をなしたポール・エルデシュ(Erdős Pál)を秋山は尊敬するという.だが,真理の追究に誠実さを求め続けたエルデシュからは,信頼を得ることはできなかっただろう.

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原題: 数学流生き方の再発見―数学嫌いに贈る応援歌

著者: 秋山仁

ISBN: 412100986X

© 1990 中央公論社

▼『失敗例に学ぶ「内部告発」』東京弁護士会公益通報者保護特別委員会 編

失敗例に学ぶ『内部告発』―公益通報制度を知り、守り、活かす

 内部告発の風景-「当事者の戸惑いと担当者の責任」.公益通報(内部告発)の理念・制度とその運用.通報者(内部告発者)の立場から-公益通報において知っておくべきこと.通報(内部告発)を受けた事業者はいかに対応すべきか-役員・担当者・弁護士の役割と責任.重要判例解説.証拠収集と外部告発の限界.諸外国の公益通報者保護制度.公益通報者保護法改正に対する提言――.

 国においてはサーベンス・オクススリー法で,内部告発の社会的意義の必要要件を示している.「情報公開」「厳罰主義」そして「告発者の保護」.内部告発者のうち「ほとんどが職を失い,17パーセントが家を失い,15パーセントが離婚をし,10パーセントが自殺」という統計結果が出されているのも,やはり米国.日本国内でも内部告発の立法的対応が認識されてきたが,社会的な意味でのリスク・マネジメントとプロトコールは,いまだ乏しいといわざるを得ない.

 2006年4月施行の「公益通報者保護法」(以下「保護法」)で,413の法律の違反が内部告発の対象となるようになったとされている.しかし,原則,公益通報が保護するのは通報を行った労働者のみ.かつ,不正行為を行っている組織と直接雇用契約を結んでいる労働者に限定されていることは問題点.取引業者に雇用される労働者の場合には,解雇の無効,不利益な取り扱いの禁止は適用されない.コンプライアンス向上の足枷になっている.

 本書は,保護法施行とともに設置された公益通報者保護特別委員会の委員や消費者庁に出向経験のある弁護士らが内部告発の「失敗事例」から,公益通報制度の理念や現状を再検討し,見逃されがちな陥穽を述べている.外部から遮断された組織構造と組織文化,職種と階層が並存している組織への適用の難しさ.閉鎖的雰囲気に支配され守られている組織に,「公益通報」と「内部告発」がいかに風穴を開けることができるか.

 告発者の証拠収集活動が告発行為の「生命線」となるにもかかわらず,情報収集における民事・刑事上の法規定がなされておらず,活動による解雇等の不利益取り扱いを禁じる規定はない.アメリカの不正請求防止法,キイタム訴訟のように告発行為に報奨金を設定すると,企業活動への足枷となる懸念が強まる.第6章「諸外国の公益通報者保護制度」で米・英・独・仏・韓の公益通報制度の紹介は重要だが,現状にせよ問題点にせよ,表層的な記述が目立つ.今少し掘り下げた考察が必要.

事業所内部に内部告発を受けた時は,内容が真実の通報であれば事業者にとって是正の機会,準備の時間的余裕を与えるものとして歓迎すべきことである.もし事実が異なるのであれば調査結果を丁寧に通報者に知らせ納得を得られるように努力すれば良い.その後外部に通報される事態になったとしても,事前準備は済んでいるので慌てることはない.報復措置あるいは報復と取られかねない措置は無用の係争やコストアップ,事業者の社会的評価の低下を招くだけである

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原題: 失敗例に学ぶ「内部告発」―公益通報制度を知り,守り,活かす

著者: 東京弁護士会公益通報者保護特別委員会編

ISBN: 9784939156281

© 2011 法律情報出版

▼『オリンピア祭』堀口正弘

オリンピア祭―古代オリンピック (近代文芸社新書)

 古代ギリシアでは,神を祀り音楽と肉体を奉納する祭礼が各地で行われていた.取り分けオリンピア地方のゼウス神の祭典は規模が大きく,多くの人々を集めた.ゼウスに奉納した肉体競技がやがて古代オリンピックと呼ばれるようになった.その興亡の詳細とは――.

 ポーツの祭典は,文化的な営みである以前に,きわめて政治的な活動である.歴史的生成過程から,そう判断せざるを得ない.都市オリンピアで,競技の祭典は公式には293回開催された.前776年からローマ皇帝の勅令で廃止される393年までの期間ということである.ギリシア人は,オリンポスの神々に人間の理想的な姿を託して崇めた.完全なる肉体美と豊かな感情の融合,そこに美の極致が求められたのであった.祭典の時期は7月から9月(当時のギリシアの暦で1月から3月)の盛夏に開かれた祭典の期間中,「聖なる休戦」としてギリシア国内では3ヶ月間の停戦が慣例化していた.

 前5世紀ギリシアがペルシアに勝利し,アクロポリスの丘の上にパルテノン神殿を建設した時期と,オリンピア祭典の最盛期が一致していると本書にはある.陸上,水泳,体操,レスリング,フェンシングなど9競技43種目.競技の優勝者にはオリーブや月桂樹の冠と名声が与えられたが,威容の発揚のために,都市国家は不正手段を駆使した.審判の買収や談合試合が横行している.さらに優勝者は都市の名誉に貢献したことが讃えられ,生涯年金,税金免除,各種の特典が与えられたことも大きい.各都市がオリンピア祭参加に熱中するほどに,ゼウスに奉納する肉体祭儀の聖性は失われ,腐敗が進んだのである.

 古代オリンピックの衰退は,直接的にはローマ帝国に浸食してきた初期キリスト教の圧制であったとされる.だが,純血のギリシア人で市民権を有すること,神に対する敬虔さなどを出場資格に厳しく問う伝統と格式も,立ち枯れつつあったところにキリスト教以外の異教祭の禁止,「聖なる休戦」協定の無効化が確立されていったのであろう.426年テオドシウス2世(Theodosius II)はキリスト教以外の神殿をすべて破壊し,荒れ果てた神殿はさらに焼き払われた.

 522年と551年の大地震で建造物は倒壊,クラディオス川とアルフェイオス川の氾濫でオリンピアは泥と土砂で完全に埋没したという.19世紀に遺跡発掘が本格化し,ペロポネソス半島北西部エリス地方に,古代オリンピック発祥の地が実在したことが知れ渡るようになるまで,スポーツ祭典の聖地は眠り続けていた.現代のオリンピック大会開催期間中,主競技場でともされ続ける五輪聖火は,この遺跡の中にあるヘラ神殿で,ギリシアの巫女に扮した11人の女性が凸面鏡で太陽光線を集め,採火したものである.

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原題: オリンピア祭―古代オリンピック

著者: 堀口正弘

ISBN: 477337263x

© 2005 近代文芸社