■「ザ・バンク 堕ちた巨像」トム・ティクヴァ

ザ・バンク 堕ちた巨像 [Blu-ray]

 インターポール捜査官のサリンジャーは,ニューヨーク検事局のエレノアと共に,国際メガバンクのIBBC銀行の捜査を続けていた.内部告発をしようとした銀行幹部との接触のためにベルリンを訪れたサリンジャーだが,検事局員を目の前で殺され,また告発者も事故死に見せかけて殺されてしまう.証言を得るためミラノを訪れたサリンジャーとエレノアは,軍事メーカーの社長から銀行が武器取引に関与していることを聞きだすが….

 国籍企業という「透明な巨悪」を告発する政治スリラーとしての野心を掲げながらも,本作の到達点はきわめて控えめである.架空の国際メガバンクIBBCが,投資部門の不正から武器密輸・麻薬取引,さらには各国諜報機関との癒着に至るまで暗部を抱えた存在として描かれる背景には,かつての国際商業信用銀行(BCCI)がある.BCCIは1991年に破綻するまで,イラン・コントラ事件,アフガニスタンのムジャヒディン支援,CIAの資金ルートなど,冷戦・紛争の裏面史を彩る数多の取引に関与していた.

 多国籍企業の暴威が国家規制を容易にすり抜けてきた例は挙げればきりがない.ホンジュラス内政を影で動かしたユナイテッド・フルーツ・カンパニー,GMの破綻と米政府管理下移行,レイセオン社のミサイル外交,チリ・アジェンデ政権の転覆に関与したITT――いずれも企業利益の追求が地政学的危機を誘発してきた事例である.国境を超えて利益を最大化するコングロマリットの本性は,映画としてより深い掘り下げが可能だったはずである.しかし本作は,巨大組織の暴力性を核として扱うよりも,アクションと逃走劇の連鎖へと物語を委ねてしまう.

 ニューヨーク・グッゲンハイム美術館での銃撃戦――制作費の4分の1を投入して実物大セットを建造した――は,確かに迫力を持つ.しかし,鮮烈な視覚効果は,むしろ作品が本来扱うべき「金融帝国の論理」の深淵を画面外に押しやった.頼みの綱として描かれるインターポールも,国家間警察協力の窓口にすぎず,捜査官に逮捕権すらないという制度的制約を負う組織である.現実世界の複雑な権力網に比べれば,映画的カタルシスのためにデフォルメされた対立構図はどうしても軽く映るだろう.

 ベルリン,リヨン,ルクセンブルク,ミラノ,ニューヨーク,イスタンブールと舞台は世界をまたぎ,映像は華美である.しかしその広域移動のスケール感が,逆に物語の薄さを覆い隠すための布石に見えてしまう.アクションの派手さを頼りにした娯楽性が前景化したことで,社会派スリラーとしての可能性は十分に掘り起こされないまま終わってしまった印象.巨悪の構造が描かれたのではなく,その扱いの困難さが露呈した作品である.

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  • クライヴ・オーウェン
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原題: THE INTERNATIONAL

監督: トム・ティクヴァ

117分/アメリカ=ドイツ=イギリス/2009年

© 2009 Columbia Pictures

▼『閨閥』神一行

閨閥 改訂新版: 特権階級の盛衰の系譜 (角川文庫 し 24-6)

 複雑かつ緊密に婚姻関係を結び,自らの権力・権益を世襲させていく政・官・財のトップたち.互いに連なり増殖していく家系の頂点には天皇家が位置する.日本の支配者たちのネットワークを鋭く抉り出した衝撃の書――.

 力の系譜をたどるとき,ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli)の冷徹な支配者分析を起点とし,マックス・ヴェーバー(Max Weber)が提示した「他者の抵抗を排した自己意志」を実現する権力定義に接続する.20世紀に入ると政治学者ハロルド・ラスウェル(Harold Dwight Lasswell)が,権力者を「獲得しうる価値(尊敬・収入・安全)を最大限に手にする者」と定義した.本書が描き出すのは,政治・官僚・財界の「家系的連鎖」である.

 政治の鳩山,中曽根,宮沢一族に財界の豊田,松下,石橋家――家系が婚姻や親族関係を通じて網の目のように結ばれ,株式会社日本を動かす株主同盟のように機能している.彼らの多くが「名門」に生まれたわけではなかった.トヨタ創業者の豊田喜一郎は,明治期に自動織機の改良を行った技術者の家系にすぎなかったが,国家主導の重工業化政策に乗って巨大産業帝国を築き上げた.中曽根康弘も,官僚から叩き上げで首相に上り詰め,やがては財界との強固なネットワークを形成した.閨閥とは血統の連続ではなく,政治と資本の融合による近代的貴族制の変奏なのである.

 本書の功績は,この見えざる結合線を可視化した点にある.家系図を辿ると,政・官・財の人脈がコングロマリットのように複雑に絡み合い,国家の「公」が,いつのまにか特定の一族の「私」に転化していることが露わになる.だが,現代の若者を支配階級への失望ゆえに無気力化した存在とみなす著者の視点は,あまりに単線的である.社会学的に見れば,若者の政治的無関心は必ずしも諦念ではなく,むしろ制度不信の深化,政治的リアリズムの学習である可能性が高い.むろん,SNSの時代における「可視化された特権」――二世議員や世襲経営者への嫌悪感――が若者の諦観を助長しているのは事実だが,それを「腐敗の受容」と断定するのは乱暴である.

 門閥を打破し,機会均等を実現せよと叫ぶならば,その変革の主体は誰か.制度の外部から改革を起こすエネルギー源――民衆の意識変革なのか,あるいは技術革新や新産業による非閨閥的成功者の台頭なのか――を提示しないままでは,理想論に終わるほかない.とはいえ,閨閥という日本的エリート構造を可視化した点においては,社会学的資料として貴重である.もし次なる研究が,ヴェーバー的権威論とミルズ的権力構造論を架橋し,さらに現代のネットワーク資本主義にまで射程を延ばすなら,日本の支配階級研究は新たな段階に入るであろう.

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原題: 閨閥―特権階級の盛衰の系譜

著者: 神一行

ISBN: 4043533063

© 2002 KADOKAWA

■「ハート・オブ・ウーマン」ナンシー・マイヤーズ

ハート・オブ・ウーマン [DVD]

 シカゴの広告代理店の敏腕ディレクター・ニックは男性向け商品広告で数々の成功をおさめ仕事にも女性に対しても自信満々な男の中の男だった.が,女性に受ける広告を作るためにライバル社から引き抜かれてきたキャリアウーマン・ダーシーの出現により立場を失ってしまう.女性の考えに疎いニックには女性に受ける広告をつくることが出来なかったのだ.仕事に自信を無くすニックだったが,ある事故がきっかけで突然不思議な力に目覚めた.なんと周りにいる全ての女性の心の声を聞けるようになったのだ….

 父長制批判というフェミニスト的主題を,極めて男性中心的な視点から展開している面白さがある.ニックの「女心が聞こえる」能力は,女性の内面世界への共感的アクセスに見えるが,実際には女性の思考を「盗聴」し,自己の利益のために利用する権力構造の延長線上にある.広告代理店ディレクター職にあるニックの母親がラスベガスのショーガールという設定も,戦後アメリカのエンターテインメント産業における女性の商品化という歴史的文脈に乗る.

 ヘレン・ハント(Helen Hunt)演じるダーシーは,能力ある女性幹部として描かれるが,物語が進むにつれて,ニックの成長のための触媒という従属的な役割に回収されていく.しかし,本作を男性中心主義として退けることもできない.娘アレックスとの関係性の再構築,職場の女性秘書エリンとのやり取りを通じて,ニックが学ぶのは女性の利用法ではなく,他者の尊厳を認識することであった.

 ナンシー・マイヤーズ(Nancy Jane Meyers)は,本作を含む一連の作品で洗練された都会的生活の美学を確立したが,そこには階級とジェンダーの問題が常に潜んでいる.家父長制の特権を享受してきた男性がその特権を認識し,不完全ながらも変容を試みる物語として,21世紀初頭の過渡期的状況を記録した文化的アーティファクトとしての価値を持つように見える.ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)による「女性は何を望んでいるのか?」という問いへの言及も,精神分析の父の限界を指摘しつつ,結局は男性が女性を理解する構図を強化してしまう.

 メル・ギブソン(Mel Gibson)が女性用製品を試す場面で使用されたナイキのスポーツブラは,当時ナイキが女性市場開拓のために力を入れていた実在の製品ラインナップだった.90年代後半から2000年代初頭,企業マーケティングが女性消費者を本格的なターゲットとして再発見した時期であったことに鑑みれば,本作の広告業界という舞台設定は,経済的転換点を的確に捉えていた.

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原題: WHAT WOMEN WANT

監督: ナンシー・マイヤーズ

127分/アメリカ/2000年

© 2000 Paramount Pictures

■「切腹」小林正樹

切腹 [Blu-ray]

 時は寛永七年.井伊家上屋敷に芸州福島の浪人,津雲半四郎と名乗る男が姿を現した.「窮迫の浪人生活で生き恥を晒すより,潔く腹を掻っさばいて相果てたいゆえ,玄関先を拝借したい」.その申し出を受けた井伊家家老の斎藤勘解由は,かつて同じように訊ねてきた千々岩求女という浪人がいたことを想い出していた.切腹を迫る勘解由.切腹を前にして,半四郎の口から語られる驚愕の物語とは….

 飾に覆われた武士道の欺瞞を暴く悲劇である.利他を装いながら己の体面を守るために他者を犠牲にする武士の姿を,静謐な構成と緻密な回想法で炙り出した本作は,倫理の形骸化を問う.橋本忍の脚本は,「羅生門」(1950)の多層的構造をさらに深化させ,語りの順序と静寂の間合いを緻密に計算している.小林正樹もまた,武士道の冷酷さを表現するために,能のような静謐さと象徴性を帯びた画面構成を採用した.

 武満徹の音楽は,琵琶の単音が余白の静寂を切り裂くように響き,観る者に「死の音」を聴かせる.この琵琶は武満が日本の古典音楽家・鶴田錦史に演奏を依頼したもので,映画音楽史上でも稀に見る試みであった.カンヌ国際映画祭で「HARAKIRI」の題で上映された際,観客の反応は激烈だった.竹光による切腹の場面では,介錯を遅らせて苦悶する求女の姿があまりに生々しく,女性観客が気絶したという.だが,その残酷さは,武家社会の「体面」という名の冷血な制度を照射するために不可欠であった.

なるほど求女は血迷うた.しかし,よくぞ血迷うた.拙者褒めてやりたい.如何に武士と言え,所詮は血の通う人間,霞を食って生きていけるものでもない.求女ほどの男でも,土壇場に追い詰められれば妻子ゆえに.いやよくぞ血迷うた!仮借なき幕府の政略の為,罪なくして主家を滅ぼされ,奈落の底に喘ぎうごめく浪人者の悲哀など,衣食に憂いのない人には所詮わからぬ

 津雲の復讐は,名誉を盾に人間性を殺す社会への告発である.彼が井伊家の鎧兜を蹴り倒し,悪鬼のような形相で刃を振るう姿は,武士道という幻想への葬送曲であり,死後もその怒りは井伊家の虚飾を打ち砕いてゆく.斎藤が「病死」として事件を揉み消すエピローグは,形式だけが生き残った武士社会の末期的症状といえるだろうか.ただし,前半の静的な構成と回想の交錯に比べ,後半の立ち回りはやや動に勝ち,作品全体の緊張がわずかに弛緩する.

 最後まで「静の美学」を貫いていたなら,より純粋な倫理的悲劇となったであろう.それでも,武士の矜持を問う姿勢と社会批判の射程の深さにおいて,映画史の中でも特異な輝きを放っている.余談だが,撮影を担当した宮島義勇は,かつて黒澤作品で光と影の対比を極めた名手であり,本作でも格子戸の影や障子越しの光を用いて「封建の檻」を象徴的に描いた.また,本作の成功を受けて,同じ橋本・小林コンビは4年後に「上意討ち 拝領妻始末」(1967)を製作し,再び武士道批判の主題を変奏した.

切腹 [Blu-ray]

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  • 仲代達矢
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原題: 切腹

監督: 小林正樹

108分/日本/1962年

© 1962 松竹

▼『フリーメイソン』吉村正和

フリーメイソン (講談社現代新書 930)

 ゲーテ,ワシントン,マッカーサー……歴史を彩ったフリーメイソンは数知れない.『魔笛』に描かれた,密儀参入と人間完成への希求.古代と近代,神秘と科学,人間と神をつなぐネットワーク.フリーメイソンを,西欧思想の系譜に,鮮やかに位置づける――.

 リーメイソン(Freemason)という語は,文字通りには「自由な石工」を意味する.この語が,国際的陰謀や秘密政治の代名詞として誤解されてきた背景には,18世紀ヨーロッパの政治的激動があった.フランス革命において啓蒙と陰謀が混同され,ドイツ・バイエルンの啓明結社(イルミナティ)と結びつけて理解されたことで,フリーメイソンは神秘と恐怖の象徴に転化された.こうした誤解は,近代ヨーロッパの宗教的寛容と科学的合理主義が,保守的勢力の目には破壊的な秘密結社と映ったことを示している.17世紀,イギリスのウィンザー城建設に従事した石工たちが,自らの技術と権益を守るために結成したギルド組織が,やがて理念共同体へと変質していった.

 宗派対立が激化する中で,共同体は啓蒙思想を体現するサロン的空間となり,科学主義・神秘主義・道徳主義が混淆した独特の思想体系が誕生する.そのシンボルが,ピラミッドに刻まれた「万物を見通す眼」である.アメリカ合衆国の1ドル紙幣の裏面に描かれていることは有名だが,この意匠は国家建設と神の摂理の合一を示唆するものであった.ジョージ・ワシントン(George Washington),ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)をはじめとする大統領13人がフリーメイソンであったとされ,アメリカ建国理念にメイソン的普遍主義――宗派を超えた理性・自由・博愛――が埋め込まれているともいわれる.本書は,この組織を人間と神をつなぐネットワークとして再考している.

『ウィルヘルム・マイスター』に描かれたフリーメイソン精神――そこには「塔の結社」というフリーメイソンをモデルとする組織が登場し,主人公ウィルヘルムの自己実現を助ける.……ウィルヘルムはやがて,こうした理想の実現を求めて,同志とともに新大陸アメリカへの移住を決意する.ウィルヘルムは小説の中の人物であるが,彼の目指すアメリカでは,新しい理想国家の実現のための活動は着々と進められていた.そして,アメリカという現実の国家建設において重要な役割を果たしたのも,フリーメイソンであった

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の歌劇《魔笛》において,タミーノとパパゲーノが通過する試練の儀礼――3つの和音――は,フリーメイソンの入会儀式を再現したものである.火と水をくぐる通過儀礼は,死から再生へという神秘思想の演出,人間が理性と徳によって神に近づく過程の寓意化である.フリーメイソンは19世紀以降,慈善団体・親睦クラブとしての性格を強め,今日では医療・教育・福祉の分野における社会貢献で知られている.しかし,ロッジ(集会所)で行われる秘密の合言葉や握手の儀式など,秘儀的な構造をいまだ保持している点に,開かれた秘密結社という逆説がある.

 日本においても,戦後の憲法草案作成に関わった連合国軍総司令部(GHQ)の一部高官がメイソン会員であったことから,日本国憲法にフリーメイソン精神が息づいているとする議論がある.自由,平等,友愛という三原則は,確かにその理念と響き合う.著者が提起する「フリーメイソンとは近代という世俗化時代に登場した一種の疑似宗教ではなかったか」という視点は鋭い.神を喪失した近代人が,理性と秩序の中で新たな"超越"を求めたとすれば,フリーメイソンの儀式や象徴は,宗教なき宗教の試みとなる.それは啓蒙の陰に潜む"神秘の形而上学"の残響,理性の時代における信仰の亡霊ともいえるのである.

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原題: フリーメイソン

著者: 吉村正和

ISBN: 9784061489301

© 1989 講談社