■「ビッグ・アイズ」ティム・バートン

ビッグ・アイズ [Blu-ray]

 アンディ・ウォーホルですらその魅力を認め,60年代アメリカで一大ブームを巻き起こした,絵画<ビッグ・アイズ>シリーズ.作家のウォルター・キーンは一躍時の人となる.その絵画は1枚残らず,口下手で内気な彼の妻,マーガレットが描いたものだった!セレブ達と派手な毎日を過ごす夫,1日16時間絵を描き続ける妻,そして10年――心の内のすべてを絵で表現してきたマーガレットは,「このままでは自分を失ってしまう!」と<告白>を決意….

 ートと商業主義の緊張関係,自己表現と社会的認知の狭間で揺れる創作者の葛藤を描き,ティム・バートン(Tim Burton)のフィルモグラフィーの中でも特異な位置を占めている.これらのテーマは,マーガレット・キーン(Margaret D.H. Keane)という実在の画家の物語を超えて,現代アート界全般に本質的な問いを投げかける.マーガレットの絵画は1950年代から60年代にかけて人気を博した.独特のスタイルは,当時のポップアートやキッチュなデザインの波とも結びついており,多くの人々の家庭に複製画やポスターとして飾られた.しかし,批評家の間では批判され,商業的成功が逆に芸術的評価を妨げる一因ともなった.この現象は,アートの価値を誰が決定するのかという根本的な議論に直結する.マーガレット自身は,夫のウォルター・キーン(Walter Stanley Keane)のマーケティング戦略がなければこれほどの知名度を得ることはなかっただろうと認めている.それが彼女の芸術性を損ねたと感じている点が,物語の核心である.

 映画におけるウォルターは,詐欺師であるとともに,自己欺瞞に陥った悲劇的な人物としても捉えられる.彼が自分の名声を信じ込むプロセスは,現代社会における虚偽の自己像,たとえばSNS上での自己演出を思い起こさせる.ウォルターは,自分の才能に対する不安を商業的な成功で覆い隠そうとし,最終的にはその重みに押しつぶされる.バートン自身は,幼少期にマーガレットの絵画に魅了されていたという事実がある.バートンの過去の作品に登場するキャラクター,「シザーハンズ」(1990)のエドワード,「フランケンウィニー」(2012)のヴィクターなど,孤独で異質な存在感を持つ登場人物は,"大きな目"の絵画が象徴する感情と一致している.この点で,本作はバートンの個人的な美意識や人生観を映し出す鏡と言えるだろう.本作が問いかけるのは,アートの価値がどのように決定されるのかという問題である.

 マーガレットの作品は,一般大衆に支持されながらも,批評的な評価には乏しかった.この対立は現在のアート市場にも通じる.商業的成功が必ずしも芸術的評価を保証しない一方で,大衆の支持が軽視されることもまた,アートの本質を問い直す契機となり,創作者のアイデンティティに対する問いも浮上する.マーガレットは,ウォルターが自分の作品を盗むことで,自身の存在価値が失われる恐怖を味わった.一方で,ウォルターは,商業的成功を通じて虚構の自分を作り上げることで,自分の無力感を覆い隠そうとした.マーガレットとウォルターの裁判シーンは,実際の展開に基づいている.裁判では,裁判官が両者に対して法廷で実際に絵を描くよう命じたという.マーガレットがわずか53分で絵を完成させたのに対し,ウォルターは肩の怪我を理由に描くことを拒否した.マーガレットは後に,ウォルターが自分の名前で売り出した「ビッグ・アイズ」を商標登録しようとしていたことを知る.

 彼女はこれを阻止するために法的措置を講じ,最終的に商業的権利を取り戻すことに成功した.この一連の出来事は,現代における知的財産権やアーティストの権利保護の重要性を先取りするものといえるだろう.また,マーガレットは法廷闘争を経た後,絵画教室を開き,自らの経験を次世代のアーティストたちに伝える活動も行った.これにより,マーガレットの作品は彼女の人生そのものを象徴するものとなった.映画製作の過程において,ウォルターの役割をどう描くかが議論の的となった.クリストフ・ヴァルツ(Christoph Waltz)は,ウォルターを悪役ではなく,時代や環境に影響された一人の人間として演じることにこだわったという.これにより,観客はウォルターの行動に対して一種の憐れみを抱くこともできるようになっている.これは「悪役を通じて人間の悲哀を描く」というバートン映画特有のテーマに通じる部分でもある.

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  • エイミー・アダムス
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原題: BIG EYES

監督: ティム・バートン

106分/アメリカ/2014年

© 2014 Big Eyes SPV, LLC

▼『三重の叡智』サン・ジェルマン伯爵

三重の叡智―すべてのイニシエーション志願者(アスピラント)が通過すべき十二の試練

 象徴を用いた秘儀参入への道!フランス革命前後に現れた,謎に満ちた不死の男,サン・ジェルマン伯爵の現存する唯一の自筆の神秘学書!錬金術もしくは魂の化学,エッセネ派,カバラ主義,アレクサンドリアのヘルメス主義(エジプト神秘主義)の三つの鍵を用いて意味を読み解かなくてはならない――.

 秘主義の歴史において比類なき存在感を放つサン・ジェルマン伯爵(Saint‐Germain)の手稿には,象徴が持つ普遍的な力,個人の精神的進化,そしてそれが人類全体の発展といかに関係しているかというテーマが深く織り込まれている.サン・ジェルマン伯爵の「万能性」と言われる特質は,個人的な才能を超え,18世紀の社会的・文化的背景を映し出している.当時のヨーロッパでは,啓蒙主義が理性を賛美する一方で,錬金術や神秘学への関心も根強く残っていた.この二重の流れの中で,伯爵はその卓越した知識と技能を駆使し,両者を調和させる存在として特異な地位を築いた.これは偶然ではなく,意識的に自らの像を「万能人」として形成した可能性が高い.「サン・ジェルマン」という名前自体が,フランス語で「聖なる兄弟」を意味し,思想的な使命を象徴しているのではないかとも考えられる.

 手稿には,フランス語をはじめ,ペルシア語,ギリシア語,ヘブライ語,アラビア語などが混在しており,当時の知識人が持つべき「普遍知」の理想を具現化している.また,象形文字や魔術的シンボルの多用は,エジプト神秘主義やヘルメス主義といった古代の知識体系に触発されている.このような手法は,現代で言えばインターテクスチュアリティに近いものであり,異なる文化や知識の断片を組み合わせて,新たな意味の層を作り上げるものである.さらに,フリーメイソンや薔薇十字団といった秘密結社は,18世紀のヨーロッパ社会において宗教的・哲学的な集団であるとともに,科学や社会改革の実験場でもあった.伯爵がこうした団体に深く関与していたことは,当時の知識層の中枢に影響を及ぼしていた証拠でもある.フリーメイソンの象徴であるコンパス・定規や薔薇十字団の薔薇・十字架と,伯爵が手稿で描いた幾何学的図形との間には類似点が見られ,これらの図形は,宇宙の秩序と人間の精神的進化を表しており,当時の秘密結社の思想と共鳴している.

 伯爵の「不死」に関する逸話は,神秘の象徴である.伯爵はさまざまな時代や場所で目撃されており,生涯を通じて時代を超えた知識人として認識されていた.心理学的視点から見ると,伯爵は個人の象徴というよりも,普遍的な「知の理想」を具現化する存在として人口に膾炙したと解釈できる.伯爵は,知識や精神的覚醒を求める人々にとって"賢者の元型"であり,そのために時代を超えて語り継がれているのである.また,錬金術における「賢者の石」は物質的な黄金を作り出す力を持つとされるが,それ以上に精神的な完成を意味している.伯爵がこの「石」を追求していたとするなら,それは科学的探求ではなく,人間の内的変容を象徴する.錬金術の術式は,金属変容のプロセスが「黒化(ニグレド)」「白化(アルベド)」「赤化(ルベド)」という三段階で説明されるが,これらは心理学的にも自己実現プロセスと対応している.

 本書の叡智は,このプロセスを象徴的に表現したものである可能性が高い.伯爵が関心を持っていたエッセネ派やカバラ主義の思想も,手稿の解釈には欠かせない要素である.エッセネ派は,古代ユダヤ教の一派であり,浄化と霊的な覚醒を重視していた.カバラは,神の存在や宇宙の構造を探求するユダヤ教の神秘主義であり,セフィロトの樹は宇宙の秩序と人間の精神的成長を示す象徴体系となっている.伯爵がこれらの思想を手稿に取り入れることで,自身の哲学が普遍的な霊的伝統と結びついていることが示される.最後に,伯爵が遺した遺産は,現代のスピリチュアルな探求においても有効なツールであることを理解する必要があるだろう.伯爵から提示された象徴や思想は,今日においても人間の内的探求を刺激し,精神的成長を促す可能性を持っている.これこそが,サン・ジェルマン伯爵が「永遠の知識の象徴」として現代に生き続ける理由なのである.

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Title: LA TRES SAINTE TRINOSOPHIE

Author: Saint‐Germain

ISBN: 4864511853

© 2015 ナチュラルスピリット

■「前科者」岸善幸

映画「前科者」Blu-ray

 

 罪を犯した者,非行のある者の更生に寄り添う国家公務員,保護司.保護司を始めて3年の阿川佳代は仕事にやりがいを感じ,様々な「前科者」のために奔走していた.そんな中,佳代が担当している物静かな工藤誠は更生を絵に描いたような人物で,佳代は誠が社会人として自立する日は近いと楽しみにしていた.しかし,誠は忽然と姿を消し,再び警察に追われる身に….

 護司と犯罪者,それを取り巻く社会との関係を掘り下げ,人間再生というテーマに挑む.監督の岸善幸は,現実の社会問題を背景に演出を施し,有村架純,森田剛をはじめとするキャストが世界観を支えている.本作において印象的なのは,保護司という制度を通じて描かれる「社会の見えざる"支え手"」の存在である.保護司は,日本独特のボランティア制度であり,犯罪者や非行少年が社会に復帰するための架け橋を担う.しかしながら,その活動は世間にほとんど知られておらず,無償で行われるその献身は,制度の中で過小評価されがちである.保護司の高齢化が進む一方で若年層の参加が少ない現実があり,本作の主人公(阿川佳代)が20代で保護司を務める設定は,この問題に対する一種の希望を示す.

 佳代の存在は「無償の善意」の現代的な意義を問いかけ,自己犠牲的な「善」ではなく,罪を犯した人々と向き合いながらも自分自身の人生に悩む「未完成な人間」として描かれる.佳代の過去は劇中で詳細に語られるわけではないが,人を支えながら自身も支えを求める姿勢が,保護司という職務の象徴的な側面を映し出す.このキャラクターは,実際の保護司の声に基づいて構築されており,制度の光と影の両方を表現している.また,犯罪者像も興味深い.森田剛演じる前科者(工藤誠)は,殺人の過去を持ちながらも更生を目指す一方で,再び連続殺人事件の容疑をかけられる.この男は,社会から孤立し,自らの居場所を失った一人の人間として描かれる.

 工藤の背景には幼少期の家庭内暴力や,社会での孤立があり,犯罪に至った過程が明らかにされることで,観客は犯罪者を一面的に裁くことの難しさを突きつけられる.工藤というキャラクターの魅力は,その「沈黙」にあり,森田は台詞が少ない中で,表情や仕草だけで内面の葛藤を見事に表現している.保護司と対峙する場面では,言葉ではなく存在感そのもので,彼が抱える罪悪感と再生への迷いが観客に伝わる.赦しとは何か,誰が誰をいかに赦すべきか――本作では,この問いを保護司という中立的な立場の人間を介して観客に提示している.無論,佳代は工藤を赦す権利を持っていないが,彼の人生に向き合う中で,自身の中にある偏見や不安とも向き合うことになる.赦しとは,加害者だけでなく被害者や社会全体にとっても複雑なプロセスであり,この映画はその難しさを描き出す.

 演出手法にも注目すべき点が多い.岸監督は静寂や空間の使い方に特化しており,佳代と工藤がただ同じ場所にいるだけで,言葉以上の物語が語られる.この手法は,観客にキャラクターの内面を感じ取らせる効果を発揮し,音楽を排除した場面では,人物の存在そのものが観客に問いかける発信力となる.岸監督は「音楽に頼りすぎると感情を押し付けてしまう」という信念を語っており,その結果,観客に想像の余地を与える演出が成功している.映画全体を貫く「罪と赦し」は,人間の根源的な問いである.物語に託して提示される「罪業」「社会」の対話は,いかに他者を捉え,赦し,受け入れるのかという問題に直結するが,リアリティを与えた森田剛のメソッド演技だけでも一見の価値がある.

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原題: 前科者

監督: 岸善幸

133分/日本/2021年

© 2021 香川まさひと・月島冬二・小学館/映画「前科者」製作委員会

▼『クリオの顔』E・H・ノーマン

クリオの顔: 歴史随想集 (岩波文庫 青 437-1)

 もっとも内気といわれる歴史の女神クリオにささげた随想集.現代における自由な言論の問題を論じた「説得か暴力か」など七編を含む本書から世界史研究家にして日本研究者ノーマン(一九〇九―五七)のすぐれた教養人像が浮びあがってくる.巻末に,マッカーシズムの犠牲となった著者への追悼文「ノーマンを悼む」(丸山真男)を付載――.

 史の女神クリオへの献辞として編まれた一冊であり,ハーバート・ノーマン(E. Herbert Norman)の知性,誠実さ,そして人間性を窺い知れる.本書には「説得か暴力か」「歴史の効用と楽しみ」などの論考が収められ,さらに丸山真男による追悼文が巻末に添えられている.ノーマンの人生と業績に触れることで,本書の持つ学術的価値がより深く理解できる.ノーマンの思想は,ケンブリッジ大学とハーバード大学での学びに端を発している.西洋史と東洋史の両面に精通し,日本史において独自の視点を築いた.歴史に対するノーマンのアプローチの象徴は「ゴルディアスの結び目」の話である.アレクサンドロス大王(Ἀλέξανδρος ὁ Μέγας)が剣でその結び目を断ち切ったという伝説に対し,問題を解く努力をせず,安易に答えを求める行為として批判した.これは,歴史を独断的に解釈し,結果のみを評価することへの警戒心の現れである.ノーマンにとって歴史学は,結果だけでなく,過程に宿る複雑性と人間性を探る学問であった.

 本書には,日本の「ええじゃないか運動」に関する考察も収録されている.幕末期に庶民が踊り狂いながら町を練り歩く奇妙な現象であったが,ノーマンはこれを社会の混乱と捉えず,時代の変化を象徴する民衆のエネルギーとして評価した.分析は,底辺からの歴史を掘り下げる視点を強調しており,歴史学の視座を広げるものだった.加えて,このような現象を社会的・文化的な文脈の中で捉える姿勢は,今日の歴史学にも通じるものである.ノーマンは,歴史の女神クリオを東洋的な視点で捉えることを好んだ.奈良の中宮寺で観音菩薩像を目にした際,その穏やかな微笑みと物思いにふける表情に,歴史家としての理想を見出したという.菩薩像は,愚かさも偉大さも含めた人間の努力を慈悲深く見つめる姿であり,ノーマン自身が目指した「寛容な歴史家像」の象徴であった.歴史を裁くのではなく,むしろ理解しようとする態度を貫いたノーマンは,GHQの一員として占領下の日本に関与し,戦後憲法の成立にも携わった.この経歴は,「説得か暴力か」という講演の内容を複雑にする.

 自由と民主主義を説いた一方で,実際にはGHQという支配的な立場にいたことは,思想と行動の間に矛盾を感じさせる.しかし,この矛盾こそが,彼が直面した歴史家としての葛藤と,時代の困難を浮き彫りにしている.講演で彼が挙げた「自由な言論」の理想は,日本の一部知識人に強い印象を与えたものの,占領政策の裏で展開される検閲の現実との対比が当時の知識人の間で論争を巻き起こした.ノーマンの著作は,日本の歴史学にも大きな影響を与えた.『近代国家としての日本の出現』は,戦後日本史研究における重要な出発点とされる.この書で,日本の近代化を西洋化としてではなく,独自の文化的要素との融合として描いている.この視点は,当時の日本史学界で斬新なものであり,その後の研究に多大な影響を与えた.日本の封建制を分析する際,当時のヨーロッパの封建制との比較を取り入れた点も特筆に値する.異なる文化圏における制度の類似性や独自性を捉える視点を持ち,これがその後の比較歴史学の発展に寄与した.巻末に収録された丸山真男の追悼文は,ノーマンの人物像を深く掘り下げたものである.

 丸山は,ノーマンを「エピキュリアン」と評し,困難な時代にもなお人間性と学問的誠実さを保ち続けたことを讃えている.この追悼文は,ノーマンの死を悲しむだけでなく,遺した思想や業績を未来に引き継ぐ重要性を訴えている.同時に,ノーマンの死がマッカーシズムの嵐の中で引き起こされた悲劇であることを指摘し,政治的圧力が個人の尊厳と学問をどれほど脅かし得るかを痛感させられると述べている.本書は,歴史学とは何か,歴史家の使命とは何かを問いかける書である.現代日本では,歴史や伝統が政治的目的に利用されることが少なくないが,ノーマンの著作はそのような風潮に対する警鐘ともなる.歴史を「物語」として再構成し,特定のイデオロギーに結びつける動きに対し,ノーマンが持つ批判的視点は時代を超えて有効である.この随想集を通じて,歴史の楽しさと奥深さ,そして学問的誠実さの重要性を再確認できる.歴史の女神クリオが微笑みながら見守るように,ノーマンの思想もまた,私たちが過去と向き合い,未来を考える上での静かな導き手となっている.

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Title: THE SHRINE OF CLIO

Author: E. Herbert Norman

ISBN: 4003343719

© 1986 岩波書店

▼『スルタンガリエフの夢』山内昌之

スルタンガリエフの夢: イスラム世界とロシア革命 (岩波現代文庫 学術 201)

 ロシア革命がはらむ西欧中心主義の限界をいち早く見抜いていたタタール人革命家スルタンガリエフ(一八九二‐一九四〇).彼は旧ロシア帝国のムスリム地域の脱植民地化を図ったが非業の死に斃れた.本書はイスラム世界の風土と歴史を背景にその「ムスリム民族共産主義」を詳説し,激動の現代中央アジアを理解するための礎石を提示する――.

 央アジアやイスラーム世界の民族運動とその思想史を通じ,ミールサイト・スルタンガリエフ(Мирсәет Хәйдәргали улы Солтангалиев)の生涯を軸に,ロシア革命が持つ「西欧中心主義」「植民地主義」の交錯する激動の時代を浮かび上がらせている.スルタンガリエフは,帝政ロシアからソビエト体制へと移行する中で,民族的アイデンティティと階級闘争を同時に追求した「ムスリム民族共産主義」提唱者である.その思想は,西欧中心のマルクス主義とは異なる「植民地の革命論」を含んでいた.スルタンガリエフは,中央アジアのムスリム諸国を独立した連邦国家として構想し,ソビエト社会主義共和国連邦(USSR)の一部ではなく独自の道を歩むべきと考えていた.

 「イスラーム・ソビエト連邦構想」は,当時としては極めて斬新でありながらも,スターリン政権にとっては危険視される理由となった.スルタンガリエフの思想の特異性を象徴する一例として,イスラームの教えを社会主義に統合しようと試みたことが挙げられる.イスラームの中にある「ザカート(貧者への施し)」の教義や,平等を重んじる価値観が社会主義的思想と一致すると考えた.そのため,ムスリム地域における社会主義運動を輸入されたイデオロギーとしてではなく,地域文化と調和させる形で展開しようと努めたのである.タタール語で発行したプロパガンダ冊子には,クルアーンの一節を引用しながら階級闘争を訴える文言が散りばめられている.これは当時の他のボリシェヴィキ革命家には見られない独自のアプローチであった.

 スルタンガリエフとヨシフ・スターリン(Ио́сиф Виссарио́нович Ста́лин)の関係は,初期ボリシェヴィキ運動の中では比較的友好的であったとされる.しかし,1922年にスターリンが民族政策を具体化する過程で,「民族独立」というスルタンガリエフの主張がボリシェヴィキの中央集権的政策と衝突した.スルタンガリエフは,スターリンに覚書を直接送った.この覚書では「ロシア人による民族支配は,新しい形式の植民地主義である」と批判し,イスラーム圏の自治を強く求めた.これがスターリンを激怒させたことが,粛清への道を決定づけたといわれる.スルタンガリエフは,革命家であると同時に詩人でもあった.編集に携わった新聞や雑誌には,タタールや中央アジアの民族的伝統を称える詩が頻繁に掲載されていた.

 逮捕される前に書き残した詩の一部は,後にタタールスタンで民族主義運動のシンボルとして引用されるようになる.その中には「自由は奪われるものではない,それは内なる力である」という一節があり,これは現代のタタール人や中央アジア諸民族の独立運動にも共鳴する.ソビエト連邦崩壊後,スルタンガリエフの思想は新たな評価を受けるようになった.カザフスタンやウズベキスタンでは,植民地解放の理念が独立後の国民的アイデンティティ形成に寄与したとされる.タタールスタンではスルタンガリエフの名を冠した記念碑や研究センターが設立され,先駆的な思想が再注目されている.こうした再評価は,本書で描かれる時代を超えた普遍性を示すものといえるだろう.スルタンガリエフという人物の思想と行動は,革命の画期性と地域性の間に横たわる緊張を見事に浮かび上がらせている.

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原題: スルタンガリエフの夢―イスラム世界とロシア革命

著者: 山内昌之

ISBN: 4006002017

© 2009 岩波書店