離婚と失業の試練を乗り越え,ようやく穏やかな日常を取り戻した幼稚園教師・ルーカス.そんな彼がある日,親友テオの娘クララの作り話が元で変質者の烙印を押されてしまう.あるのはクララの証言のみ.無実を証明できる手立ては何もない.町の住人たちはおろか,唯一無二の親友だと信じて疑わなかったテオまでもが,幼いクララの言葉を疑いなく信じ込み,身の潔白を説明しようとするルーカスの声に耳を貸そうとしない…. |
信用できない"語り手"を信用することで巻き起こる誤解や曲解は,「子供と酔っぱらいは嘘をつかない」という北欧の諺にまつわる偏見を温床とする.当事者にとってそれは血も凍るような宴というほかない.離婚と失業を乗りこえようと苦闘する中年男ルーカスに関し,淡い恋心を抱いた幼女クララの他愛ない"嘘".「あの子は想像力が豊かだけど,ウソはつかない」と断じる保育園長,クララの言動を露ほども疑わない彼女の両親.だが映画の冒頭,クララの父親でルーカスの親友でもあるテオはルーカスへ親しみを篭め和気藹々と言ったではないか――お前は嘘をつくとすぐにばれる.目が不自然に泳ぐから.
感情を誰にも読み解かれず理解されない存在としての「子供」,それがファウスト的な衝動や悪意をもって社会に挑む不可解ゆえのトラウマ映画「ザ・チャイルド」(1976)を観ていれば,この小さく愛らしい姿にこそ不気味で信用ならない気味悪さを覚えるものだ.モラルが未発達な段階で無邪気な残忍性を行使すれば,現代の魔女狩りと形容するほかない弾圧や迫害によってマイノリティの立場――本作では中年男ルーカス――を経済的・政治的・社会的に破滅へ追い込むことは容易なのだ.子どもの姿をしているために,児童福祉や子どもの保護の美辞麗句のもと,覆い隠される悪の要素は,サイコ・キラーの萌芽として密やかな痕跡を残している.
それを毫も疑わせない外見に,誰もが欺かれている不気味さ,逆にひとたび生け贄に捧げられ社会で認識されてしまったら,シンボリックな不名誉が恥辱の烙印(スティグマ)となって永久について回るのだ.ルーカスの場合,眼を据えてテオに真実を訴えることで元々の信頼を復権させることに成功する,かのように見える.目が泳いでいなければ潔白なのだ.俺はそういう男だとお前はとうに知っていたはずだ――ただし,それもやっていないことの証明すなわち「悪魔の証明」を担保するほどの力はなく,その社会で生きる限り,生涯にわたって烙印が消失しないことは現代でもデジタル・タトゥー問題で不変性を保っていることは論を俟たない.
本作は,それを甘えることなく最後まで不穏な空気の内に描き切る.くたびれた中年とはいえ美丈夫マッツ・ミケルセン(Mads Mikkelsen)ですら冤罪の悪評にはなすすべなく耐え忍ぶことしかできない.だからこそ,われわれは気づかされるのだ.自分も所属するインクルーシブな福祉社会や社会公正や連帯主義というものは,コミュニティにおける「評判」という圧力,それも相互監視による同調圧力によってのみ享受されうるもので,虚偽や正義にかかわりなく同調から弾かれたものには地獄が待ち構えているという戦慄すべき事実を.
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原題: JAGTEN
監督: トマス・ヴィンターベア
115分/デンマーク/2012年
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