1997年8月31日.チャールズ皇太子との離婚後,充実した人生の真っ只中にいたダイアナ元皇太子妃が,パパラッチとの激しいカーチェイスの末,自動車事故によって急逝した.事故直後,英国国民の関心は一斉にエリザベス女王に向けられ,たびたび取り沙汰されていたエリザベス女王とダイアナの不仲説への好奇心の対象となった.民間人となった彼女の死に対して,エリザベス女王はコメントをする必要はないはずだったが…. |
2007年5月上旬,エリザベスII世(Elizabeth Alexandra Mary Windsor)はアメリカのヴァージニア州を16年ぶりに訪問した.同州を訪れたのは,今年が米国の入植地ジェームズタウンが開設されて400年という節目を迎えたということも理由の1つだが,州立大学の無差別射殺事件に衝撃を受けた女王の配慮も少なからず働いていたことは,意外に知られていない.チャールズ・ステュアート(Charles James Stuart)の手で開設されたジェームズタウンからちょうど400年,イギリスとヴァージニア州のかかわりの深さは,北米大陸で初の定住植民地となったこの州に今なお残る,権力者の名前に示されている.トニー・ブレア(Tony Blair)がイギリス首相に就任したのは,1997年5月.彼はエリザベス女王が統治している間に生まれた最初の首相となった.その3ヶ月後にダイアナ(Diana, Princess of Wales)が事故死し,早速ブレアの手腕が試されることになる.ダイアナを「人民のプリンセス」と称賛したブレアは,憲法の近代化を掲げていた.イギリス国民は,この若き宰相に大きな期待を寄せていた.それは,革新と伝統の調和をこの若造がどう図るか,お手並み拝見,ということだった.
エリザベスII世がダイアナの死に関して,公式に追悼を発表したのは9月5日.ダイアナの死去から1週間の空白を経た後の見解だった.その間,女王の苦悩は「王室」という閉鎖空間の中で,悶々と続いていた.公には王室を離れ,皇太子との間に2人の子をもうけたとはいえ,離婚によってすでに民間人に戻っているダイアナを自分はどう遇するべきか.そのことの葛藤が静かに語られる.とはいえ,女王自身,その内的混乱は大変なものだった.それをヘレン・ミレン(Dame Helen Mirren)は複雑な表情とエレガントなたたずまいで,見事に演じ切っている.この苦悩は,何をも表現することを躊躇していた女王の姿にこそ描かれているのだと思うが,逆に国民はしびれを切らした.哀れなダイアナは,死後も王室によって冷遇されていると多くの国民は考えはじめていた.イギリス国民にとってのエリザベス女王とは,その存在が複雑な国民感情のシンボルとなっている.立憲君主制をとるイギリス国家では,女王は国の元首ではあるが,直接国を統治する権限を与えられていない.国政を執り行う首長に承認を与え,初めて政治を介した統治機構を機能させることができる.
国の伝統文化を見るのに,いい方法がある.それは,その国の通貨をみるということだ.古代ローマの通貨には,権力者アレクサンドロス(Αλέξανδρος)や,コインの表には町の守護女神アテナイ,裏には知恵の象徴・ミネルヴァの梟があしらわれていた.日本においても,この国を象徴する花や鳥が印刷されていることは,誰でも知っている.イギリスの通貨は,すべての貨幣にエリザベス女王の肖像がプリントされている.イギリス国民のアイデンティティは,女王とともにあり,女王に託されている.女王がかつて王室に迎え入れたダイアナの死について,何も表明しないということにイギリス国民は怒っていた.それは,自分たちのコスモスの意志を女王に代弁させよう,すなわち粛々と喪に服すべきわれわれを,女王よどうか諫めてくれというボルテージだったのではないか.逆説的だが,女王の追悼がなければ,国民もダイアナも心を安んじることができない.そのような国民のフラストレーションは,怒りでありながら,権威としての女王への切なる嘆願でもあったわけだ.
かなりリサーチの行き届いた映画,という感想を多くの人がもつだろう.その立役者は脚本家のピーター・モーガン(Peter Morgan).国語を学ぶために大学に進学したが,いつのまにか専攻を芸術に変更し,学生演劇に出会った.しかし,舞台で演技をすることに向いておらず脚本の道にすすんだ男だ.このような消去法で進んだ進路で,大化けする例は古今東西,共通しているらしい.2004年のテレビドラマ「The Deal」で,本作のスティーヴン・フリアーズ(Stephen Frears)と初めて仕事をした.ちなみに,フリアーズはBBCでおおくの作品を手がけた後,映画の世界に踏み込んだ.エリザベス女王が1週間の沈黙を守った後,公式にダイアナの追悼を述べたのがBBCだった.そのような接点が地味にある.笑わせてくれるのが,イギリス王室の文化があますところなく描かれている点だ.ロイヤル・ファミリーの執事は,いまだにキルト・スカートを穿かされているのがわかって面白かった.スカートの中は何も穿かないのが儀礼となっているそうで,だが,見苦しいものが目に触れないよう,スポラン(キルトスカートの前に付ける革の袋)の着用が義務付けられているはずだ.ところが,いつかヴィクトリア女王(Alexandrina Victoria Wettin)を歓迎するための式典で,このキルト・スカートを着用した従者が歓待のダンスに足を高く振り上げたところ,困ったことになった.当時,正式にはスカートの中に何も着用してはならなかったのだ.目を剥いた女王は,嘆息交じりに「も,もうよい,下がっておれ…」というのに精一杯だったという.
ほかにも,TVで流れるクリントン大統領(William Jefferson “Bill” Clinton)の弔辞をよそに雑談するエディンバラ公(Duke of Edinburgh)の無神経さ,しきたりに満ちたバッキンガム宮殿で,数分で終わる形式的なものであっても,伝統を踏襲した儀式を実施しなければならないことなどが綿密に描かれている.このあたりは,ピーター・モーガンの調査力に強く依存した演出になっており,イギリス式のウィットに富んだ人物たちの会話が愉快だ.結局,女王は,頑なだった態度を軟化せざるをえない.ブレアの熱心な進言と,国民世論の高まりがそうさせた.特に,ダイアナ事件以来,「4人に1人が王室廃止論に同調的」という結果はこたえた.王室としては異例の民間人ダイアナの国葬に踏み切るまでの過程は,女王の孤独感を丁寧に描き出すことで,この映画のスタンスをある程度明らかにしている.
女王の決断には,誰も決定的な影響力を持たなかった,そして,誰も持つべきではないということだ.それを単に,女王の「威厳」というのには躊躇すべきだろう.現実の女王は常に,誰よりも高い演技を求められるアクターでもある.英国の礎たる元首,その矜持が一つひとつの決断を可能にしていることを,スクリーンからわれわれに語りかけてきている,と見るのが正しいように考えた.若き労働党の党首,王室の是非については慎重なスタンスを取りながらも,弁護士である妻は王室否定論を論理的に述べる.しかし世論の趨勢をみながら女王と接していかなければならない立場にあるブレア.その政治的スタンスを彼がいかにブレないように努力していったか,さらにそのような首相の思惑に拘泥することなく,立憲君主の立場を一貫させて国土と国民を愛そうと誰よりも努力している女王の姿を目の当たりにすることで,ブレアはさながら開眼させられていく.これこそが紛れもないクィーンの姿であり,政治を教導する君主なのだと.
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原題: THE QUEEN
監督: スティーヴン・フリアーズ
104分/イギリス=フランス=イタリア/2006年
© 2006 BIM Distribuzione, et al.