■「太陽がいっぱい」ルネ・クレマン

太陽がいっぱい 【特典DVD付2枚組】 [Blu-ray]

 貧しい青年トム・リプリーは,大富豪の息子フィリップの友人だったが,フィリップは,ことあるごとにトムを見下し侮辱した.トムはある計画を立てる.2人だけで海に出たヨットの上で彼はフィリップを殺し,死体を海に投棄した.サインも練習してトムはフィリップになりすまし,計画は成功するかに見えたが….

 光の降り注ぐ中で「太陽がいっぱいだ」と誇らしげに呟く.次の瞬間に彼の運命は翻る.暗転したスクリーンの背後で,静かに進行していた主人公の計画は白日の下にさらされる.その映像は,観客の瞼に克明に映し出され,泡沫のように消え去ってゆく.哀切なメロディと,眩い光が青年の運命の悲嘆を際立たせている.平易な評論で映画の魅力を伝え続けた淀川長治は,富裕層の放蕩息子と貧困層の美青年の間に流れる感情は,同性愛的なものであると評した.偏執的な同性愛ゆえに,貧しい青年トムは,放蕩息子フィリップを自分と同化させるため殺害する.しかし,死体を捨てきれずにクルーザーに繋いでいたという解釈である.

 トムは,富も恋人も手中に収めたが,そこで計画は終了し,あとは真の恋人フィリップに会うだけが目的となったのか.それとも,これから先も彼の名を騙り生きていくつもりだったのか.フィリップの恋人マルジュを誘惑して我がものにするトムは,マルジュを愛する自分を演じることによって,フィリップと同一化を図った.常にフィリップに支配されていたトムは,彼を殺してその肉体と未来を支配した.そして今は彼との融合を達成しようとしたわけである.トムは殺人を犯すたびに,その場にある食物を口に押し込んで飲み下す.象徴されるのは,「貧しさからくる卑しさ」「殺人欲求と生理的欲求の近しさ」.

 いかに金持ちの息子に取り入り,同様に振舞おうとしても,出自の卑しさは隠すことができない.逆に,放蕩息子がいかに奔放に振舞おうとも,身についた品性が拭い去られるわけではない.「テーブルマナーくらい知っておいたらどうだ」とトムはフィリップに冷笑される.トムの表情には何とも痛切な色が浮かぶ.第1の殺人の後は果実を無心に貪り,第2の殺人の後はナプキンを広げ,七面鳥を食いちぎる.食欲を満たす行為は,直前の獣性の行為と人間性との境界を融かし,パターン化した行動は自分を安定させるための儀式となる.トムは殺人の自覚を鈍化させる手段を無意識に講じていたのである.殺人の発覚を恐れフィリップの友人を撲殺したトムは,フィリップの服装に身をまとい,死体を投棄して自分に言い聞かせるように呟く.

そうだ,殺したのは俺じゃない.フィリップがやったんだ

 完全に思われた犯罪も,やがては眩しい太陽の光の下に全てをさらけ出す.窮境から脱け出そうと必死に画策した青年の野望は,儚くも砕け散るのである.建物の陰から虎視眈々と彼を狙う刑事の存在を知らず,青年は人生最高の瞬間を迎えていた.全てを隠蔽し,危機を回避したはずの自分に怖いものはもう何も無い,人生は思うがままと幻想を抱いたとしても無理はない.そしてこの見方は,多くの人に支持されるだろう.期せずして頂点から転落する美貌の犯罪者の姿こそ,帰結にはふさわしい.太陽は全てを知っていたことを知る者のみが,深い余韻に浸りながら,人間の本質と欲望の葛藤に思いを馳せることができる傑作.

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原題: PLEIN SOLEIL

監督: ルネ・クレマン

122分/イタリア=フランス/1960年

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