▼『社会科学における人間』大塚久雄

社会科学における人間 (岩波新書)

 社会科学が成り立ちうるのは,人間類型を前提にしてのことである.本書は,デフォウにおいてイギリスの合理的経済人の原型を,マルクスにおいて疎外された階級的諸個人を,ヴェーバーにおいてプロテスタンティズムエートスを,その時代の典型として探り出すことにより,社会科学における人間の今日的問題に新たな光をあてる――.

 ックス・ウェーバーMax Weber)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を翻訳し,西洋経済史を紐解く大塚久雄が1976年から1年間にわたりNHK教育テレビの大学講座で担当した講義の再編纂.著者は,ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)『ロビンソン・クルーソー』において,原初的な資本制経済の兆しを見出している.孤島で28年間を過ごした主人公の生活様式には,資本主義の萌芽が見られる.資材の収集や労働,自営,動植物の捕獲などがその典型例であり,これらの活動を通じて拡大再生産された「資源」の適切な分配が行われる.

 デフォーが描く理想的な市民像(中産的生産者層)は,まさにこの生活様式に現れている.著者は,カール・マルクス(Karl Heinrich Marx)とウェーバーの学説における人間像や類型についても言及している.マルクスは,人間の経済活動によって生み出される商品に対する「価値」は「社会的錯覚」に過ぎないと強調し,これを「幽霊のような対象性」(gespenstige Gegenständlichkeit)と呼んだ.この観点からすると,ロビンソン的人間類型は,マルクスの思考の枠組みに組み込まれ,人間論を相対化していた可能性があると著者は仮説を提示する.

 これらの論証は十分ではなく,本書だけでこの着想の正しさを判断することは難しい.ウェーバーの学説に基づく人間類型の解釈も重要である.世俗内的禁欲という“エートス”の基盤にある信仰心が資本主義の精神に結びついていると論じている.利潤の追求と奉仕の精神のバランスが崩れることで,経済の効率と合理性が重視されるようになるとした.ウェーバーは,資本主義という「鉄の檻」に住むわれわれに与えられる道を三つに予言した.「新しい預言者の登場」「旧来の思想の復興」「檻の機械的化石化」である.

 最後の点は,資本主義の上に傲慢と尊大で寝そべる人間そのものを意味する.1905年,20世紀初頭の段階で怠惰な人間の自惚れを警告したウェーバーの卓見は,現代社会にも通じるものがある.精神のない専門人,心情のない享楽人がのさばる世界.経済的貧困と精神的貧困に苦しむ人間社会の到来は必然とされる.こうした社会現象を把握し,人間がどのように取り扱われたかを分析する道具は,これまでの主要理論を見据えながら準備された.社会科学との関連を見る限り,バラ色の人間観は期待できない.

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原題: 社会科学における人間

著者: 大塚久雄

ISBN: 4004200113

© 1977 岩波書店