本作品は,痛恨刃傷から討入り本懐まで,封建社会の悲劇を批判する元禄時代の甚大な物語を一篇にまとめて描破.刃傷松の廊下,田村邸での切腹,赤穂城明渡し,一力絢爛の場,山科の別離,大石内蔵助と,立花左近との対決,南部坂雪の別れなど“忠臣蔵”お馴染みの名場面とともに,元禄一四年春から翌年冬までの一年八ヶ月にも及ぶ壮大な仇討ち劇が鮮やかに甦る…. |
東映としては4本目の「忠臣蔵もの」.クーデターの話は国民を扇動すると警戒したGHQは,元禄赤穂事件の芝居,催しを禁じ,敵討ち関連演目の上演を禁止していた.規制されていた「忠臣蔵」のタイトルが戦後初めて使われた映画は,八代目松本幸四郎が大石内蔵助,滝沢修が吉良上野介を演じた 「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(1954)であった.松竹,東映,東宝は1950年代には赤穂浪士の恥と道徳の両義からなる悲哀物語を,様々に映画化している.史伝でいえば,元禄14年3月14日勅使饗応役の播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城“松の廊下”で高家吉良上野介義央に斬りかかるという刃傷沙汰.
江戸城の渡殿での不祥事は,前代未聞であった.浅野は奥州一関藩田村右京太夫邸で即日切腹,お家断絶となったが,吉良は御構いなしという処断を幕府は下す.儀式典礼の指南役という重職が,吉良を防護する権力者を動かしたのではなかっただろうか.播磨国赤穂藩国家老大石内蔵助は120名の同士を率い,離脱者も続出し最終的に47名が幕府の不公平処罰に抗議した.6年間で複数の映画製作会社から3本の「忠臣蔵」累々を手がけた松田定次は稀有な監督.女形の大川橋蔵が演じる浅野内匠頭は義理堅さに欠ける気もするが,片岡千恵蔵による大石内蔵助は見事な貫禄.
吉良上野介は1956年版に続いて月形龍之介.大名の礼服とされた烏帽子に長袴,五位の大名の「大紋」を着込んで眼を剥く吉良は,いやしくも播州赤穂藩主の名誉を汚し,浅野の弁明を「だまらっしゃい!!」と大喝一声.さらに縋る浅野を「えぇ,衣服が汚れる」と打ち据える非情,憎々しいことこの上ない.数々の名優が吉良上野介を演じてきたが,月形版が最も悪徳で絶対的な魅力を放っている.本作も大佛次郎の原作を得て脚色が施されている.目立つ箇所は,大石が昔日,山鹿流軍学を学んでいたときの同門に,吉良の配下立花左近(大河内伝次郎)がおり,九条家御用の書付を渡す宿場で2人が対峙する場面設定か.
片岡と大河内の両雄相まみえる演出を強引に作った観があり,忠臣蔵の本筋とはあまり関係がなく,ここで大石の忠烈と人徳を強調しても意味はない.吉良邸に討ち入り,大石率いる赤穂義士は吉良の首級を挙げ,浅野の墓前に供える.ここでの葛藤と決意は,物語のハイライトにして鑑賞側もカタルシスが得られる.しかし本作も含め,多くの忠臣蔵映画では,討ち入りの終結で幕を閉じる.それにより演義的性格を強めているが,義士の悲憤と男泣きが省かれるなど,大いに不服を感じるところではある.
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原題: 赤穂浪士
監督: 松田定次
150分/日本/1961年
© 1961 東映