赤ん坊を死産したショックから立ち直れずにいたケイトとジョン.この傷を癒すため,二人は養子を迎えることを決意する.訪れた孤児院で二人は他の子と交わらず一人で絵を描く少女に出会う.彼女の名はエスター.この聡明で絵が上手な少女を喜びとともに迎え入れたケイトだが,その直後から奇妙な事件が頻発する.ケイトはエスターに違和感を感じて周囲に警告するが,逆に孤立してしまう.そして,事件は家族にも及び始めた…. |
無力と大人が信じきっている「子ども」が邪悪な存在であるという悪趣味な寓話は,「悪い種子」(1956)以来の古典的モチーフ.子どもの形をした悪の存在は,サタニスト(悪魔崇拝主義者)を喜ばせる.本作もその系譜に属しているが,同じ年に製作された「ケース39」(2009)も同種であることは相互に想起されていい.あちらでは子役ながらサム・ライミ(Sam Raimi),テリー・ギリアム(Terence Vance Gilliam)らの怪奇とファンタジーの作風に身を置いてきたジョデル・フェルランド(Jodelle Ferland)の貫禄が光った.ともに悪魔的ではあるが,本作での少女エスター/イザベル・ファーマン(Isabelle Fuhrman)の「秘密」は,信仰上の宿命的な恐怖の象徴よりも現実的ともいえる脅威.
典型的なホラー映画を超えたプランに興味を覚えたというレオナルド・ディカプリオ(Leonardo Wilhelm DiCaprio)率いるアッピアン・ウェイ・プロダクションズが本作の製作を担当.雪深いトロントの郊外,素朴だがスタイリッシュな家屋を築き上げている中産階級.それらを破滅させようと企むエスターは,明確にサイコ・キラーと判明する過程によって,作品は中途から「オーメン」「ケース39」とは決定的に違う路線に置かれた.その賛否が分かれるポイントの一つは,エスターを肉体的・精神的異常者と描き,人智を超越した”魔”ではないと宣言してしまったこと.子どもの姿を借りた意味合いが,悪魔崇拝ものとはベクトルを異にしている.
妖気を漂わせるエスターの雰囲気,人間離れした狂気に徐々に絡めとられていく養母ケイト/ヴェラ・ファーミガ(Vera Ann Farmiga).前半はホラー・サスペンスの手法が主体となる.エスターの身体描写も巧い.歯.首と手首に巻かれるリボン.入浴を人に見せることの異常な拒絶.これらは,悪魔の「サイン」の秘匿であろうと鑑賞側は誰もが予想する.ケイトはエスターの本性を見抜くまで,この幼女は不幸で純真という先入観に囚われていた.弱さと無垢を一体の価値ととらえる偏見こそが危険.その真実を自分以外の大人に知らせることに,大いに難儀するのである.エスターの素性が知れるまで,既往症による「現実検討力の希薄さ」がケイトの最大の難敵となって立ちはだかる.
家庭人としては素晴らしく魅力的に描かれるケイトの本質が,精神的不安定からくる家族からの「不信」――そこを巧妙に衝き,錯乱を誘い,孤立させることから浸蝕を図るエスターの狡猾さは,――悪辣な意味で――非常に残虐で人間的.死産となった子を弔い,慰めを得るため植樹したバラの花を,エスターが無邪気を装い剪断.ケイトの悲痛の叫びは,引き抜かれたマンドラゴラの悲鳴を思わせる絶望の響き.後半のサイコ・サスペンスの展開への布石は,多重かつ周到に打たれていた.美しい光景が連なる映画では全くないのだが,ゴシック然とした統一的な雰囲気は優雅で下卑たところがない.人の精神の脆さは,どこか美意識に通じるからだろうか.
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原題: ORPHAN
監督: ジャウマ・コレット=セラ
123分/アメリカ/2009年
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