■「マイ・ブラザー」ジム・シェリダン

　海兵隊のサムは，美しい妻グレースと2人の娘に囲まれて幸せな日々を送っていた．一方，サムの弟トミーは刑務所に服役する厄介者．親からも見放されているが、兄のサムだけはどんな時もトミーの味方であった．弟が出所したのと入れ替わりに，兄は戦地へと旅立っていった．そして，突如，届いた兄の訃報―．絶望の淵に突き落とされるグレースと娘たち．しかし，そんな彼女たちを支え，笑顔を取り戻させたのはトミーだった．急速に距離を縮めるトミーとグレース．そんな中，なんと突如サムが帰還を果たす．しかし，帰ってきたサムは，娘たちも脅えるほど別人になっていた…．

　アフガニスタンで継続して起きている一連の紛争と軍事介入は，一般に「アフガニスタン紛争」と呼ばれている．中でも，21世紀以降のアフガニスタン紛争は，北大西洋条約機構（NATO）がテロ攻撃に対して「集団的自衛権」を発動したことで，対テロ戦の重要な位置づけを獲得したとされた．9.11の首謀者ウサーマ・ビン＝ラーディン（Usāma bin Muhammad bin Awad bin Lādin）とアルカーイダを「枢軸」と定めたアメリカは，ターリバーン政権にビン＝ラーディンらの引き渡しを要求．政権はそれを拒否したため，同盟国と共同でアフガニスタン侵攻を決定する．ところが，「アルカイダの拠点はイラク」という根拠に乏しい説をアメリカ，イギリス国民は政府により信じ込まされ，いつしか戦争の正当性はアフガニスタンからイラクへ，ビン＝ラーディンからサッダーム・フセイン（Saddam Hussein）捕獲へと，政府は批判の矛先を逸らす形で落ち着かせようとした．

　よき家庭人である海兵隊員のサムは，アフガニスタンの「忘れられた戦争」に従事した．アメフトの花形選手パット・ティルマン（Patrick Daniel Tillman）が選手生命よりも志願兵となることを選び，2004年にアフガニスタンで戦死し，実はそれが友軍の誤射であることが明らかになった経緯は，本作のシナリオに多大な影響を与えている．ティルマンは当初，パキスタン国境付近の峡谷付近で，武装勢力により頭部を撃たれて殺害されたと発表された．現役NFL選手が戦死したのはベトナム戦争以来史上2人目であった．したがって，ティルマンの死亡は「栄誉ある死」として扱われ報道されたのである．おそらく，多くの兵士が戦場で体験した“事実”は，本作で描かれる類の「事件」や「事故」として，限られた場所に溢れかえっているだろう．問題は，その収拾をどこに求められるかだ．一兵士の個人的エピソードとして，個人の胸に収めるのか．別人のようになって帰還したサムを当惑や悔恨をもって迎える家族に対し，沸点を超えた疑惑の怒りを向けるサムの叫びを，妻子は受容できうるものなのか．

　戦場の忌まわしい記憶がPTSDとなって元兵士の人生を破滅に導く映画は，これまでにも多く成立してきた．「この手紙を読んでいるなら，僕は戻ってこれなかったってことだ」――出征前，サムは遺書を妻に託していた．夫が無事に戻ってきたはずなのに，妻は遺書の封を破らず，廃棄もしない．その理由を説明することなく，観客に察知させるナタリー・ポートマン（Natalie Portman）の好演が光る．酷な誤解を与えたとはいえ，菩薩のように佇み，夫を包容しようとする．その説得力がなければ，トビー・マグワイア（Tobey Maguire）の狂気と喪失感だけがフォーカスされることになっただろう．サムの弟で，グレースの義弟を演じたジェイク・ギレンホール（Jake Gyllenhaal）も侮れず巧い．服役を終えたばかりの青年の自棄的な言動が，兄夫婦の穏やかさに触発されて角が取れ，秘かに義姉に魅かれていく繊細さを表現できている．子どもの頃，兄弟が共有した川でのエピソードが，印象的なイメージを伴う．その時，溺れた弟を助けたのは兄だったという．

　サムが遺書にしたためたとおり，「忘れられた戦争」から生還した彼は，”戻ってはこなかった”．忘れられない大切な家族としては還ってこず，家族に喪失が立ちこめる．イラク戦争に反対する人も，首謀者が潜伏し身柄引き渡しを拒んだアフガニスタンでの紛争は，介入やむなしと考える立場に属することが多く見受けられる．それだけテロの記憶は生々しく，グラウンド・ゼロで発掘された「鉄骨の十字架」は，記憶の風化を防ぐ．「溺れそうだ」と，たった一言呟くサムと家族の再生は，かつての記憶に頼って"絆"を再認することでしか望めない．それが安易にできるものではなく，果たして可能なのか．いかなる大義名分も，愚かな行為を事後的に贖うことはできない．家族は，それを修復する力をもちうるものなのか．本作から，絡み合った2つの問いが浮上してくる．

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原題： BROTHERS

監督：ジム・シェリダン

105分／アメリカ／2009年