■「スラムドッグ$ミリオネア」ダニー・ボイル

スラムドッグ$ミリオネア [Blu-ray]

 運じゃなく,運命だった.アジア最大のスラム街・ムンバイで育った少年ジャマールは,世界的人気番組「クイズ$ミリオネア」にて一問を残して全問正解,一夜にして億万長者のチャンスを掴む.だが,無学な彼は不正の疑いをかけられ,番組の差し金で警察に連行され,尋問を受けることになってしまう.彼は一体どうやって全ての答えを知りえたのか?そして,彼がミリオネアに挑戦した本当の理由とは….

 国に次ぐ経済成長率を誇り,2050年までにはアメリカに次ぐ経済大国になることが試算されるインド.急速に近代化が図られている途上にあるが,その内部は,依然として強固な階層階級が布かれ,階層間移動もきわめて難しい.そんな大国インドを舞台に,無学文盲と侮られがちな階層に視点を当てたユニークな設定の映画だ.経済的繁栄を着々と築く一方,国内の格差は拡大し,宗教的対立も過去の遺物ではない.ゴミ集積場のようなスラム,児童を狙ったアングラ・ビジネスの横行など,国情は酸鼻をきわめる.それでも,生命力溢れる子どもたちの躍動感は,清濁併せのむようなポテンシャルを,国家としても,個人としても想像させるに十分なインパクトを持つ.ムンバイのスラムが抱える問題は,枚挙にいとまがない.不衛生な地域においての人口密度の凝集性,95%の住人は,日常的に公共トイレに依存,飲料水や生活用水配給制,ほとんどの子どもは出生登録されておらず,義務教育すら行き渡っていない.

 スラムドッグ(スラムの負け犬)は,生涯,日の目を見ることがないし,そうでなければならない.そんな社会の評価をよそに,ジャマールは努力と希望で,逆境を生き抜いてきた.「その答えは知らない方が幸せだった」――こう呟くジャマールの記憶は,惨状を目撃し体験することで身に付いたものであった.何事も,脳内にインプットしただけでは,「印象」に留まり,物事の是非を判断する「記憶」にはならない.自分だけに蓄えられたストーリーを取りだし,アウトプットすることで,初めて記憶の意味をなす.検索キューの有機的な結びつきは,ジャマールの「物語」としてのエピソードであり,それを想起することの福音と,記憶が甦ることの苦痛が,見事なまでに対比されている.より重要なことは,ジャマールがクイズ$ミリオネアに出演し,何を「為したい」のかということである.史上空前の賞金も,彼の眼中にはない.全国が注目する番組で偉業を遂げれば,彼のある目的は達成されるのだ.

 知識や教養は,人の身を援ける.それ以上に人生の開拓に意味をもつものは,知恵である.必要に迫られて学ぶということより,強制的に学ばされ,体験させられる.一時期,ジャマールと行動を共にした少年アルヴィンドは,大人の醜悪な欲望の犠牲となり,光を失った.アルヴィンドとの再会がなければ,ジャマールは出題された問題に答えることができなかった.そして,運命を信じ意志を貫こうとする者に,天運は味方することを肌で感じ取る.ジャマールが常に抱いたものは希望であり,実は,それすら愛を勝ち得るための手段でしかない.希望を絶たれた時,ジャマールの物語は終焉し,本作のようなお伽噺は鼓動を止めるだろう.しかし,絶対にジャマールはあきらめない.彼の生き抜く体験だけが全編にわたり活写され,勉学に励む場面は一切登場しないが,その知能の高さは,高い教育を受ける学生をも凌ぐことが一場面だけ登場することに示される.イギリス人のダニー・ボイル(Danny Boyle)は,インドから学ぶべきものが豊富にあると感じたという.それは,人間がプリミティヴに生きるための糧や躍動感.弱肉強食を運命づけられた場所であっても,諦めない限りは,誰にも侵されないと確信し続けるバイタリティ.

 製作費は約1400万ドルという低予算,劇中の言語の3分の1はヒンドゥー語である本作は,ワーナー・インディペンデント・ピクチャーズから公開の道を閉ざされながら,最終的にはハリウッドを席巻した.映画のスラムドッグが巨魁ハリウッドを制したのである.本編同様,希望と疾走感あふれるエピソードであるといえよう.見て損はない映画といえるが,1つだけセンスに理解の苦しむ点がある.それは,大団円からスタッフロールに入る場面.登場人物勢ぞろいで,インド特有の軽やかなダンスを舞い踊る.インド映画の伝統に則った演出なのかもしれないが,純情イメージのジャマールや恋人が,悪役とも協調して軽妙にステップを踏まなければならない必然性が,どこにあるのか.映画のせっかくの余韻をぶち壊す強烈な違和感.これだけは,いただけない.

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原題: SLUMDOG MILLIONAIRE

監督: ダニー・ボイル

120分/イギリス=アメリカ/2008年

© 2008 Celador Films ,Film4,Pathé Pictures International