■「ファニーゲーム」ミヒャエル・ハネケ

ファニー・ゲーム [Blu-ray]

 穏やかなある夏の午後.バカンスを過ごしに湖のほとりの別荘へ向かうショーバー一家.主のゲオルグ,妻のアナ,そして息子のショルシと愛犬のロルフィー.別荘に着き,台所で夕食の支度をするアナの元に,見知らぬ青年が訪れる.ペーターと名乗るその青年は,卵を分けてくれないかと申し出る.たわいもない会話の後,突然ペーターはアナに好戦的な態度をとり始めた.そこへもうひとりの青年パウルが現れ….

 力の意味を認識させる試みの一つとして,ミヒャエル・ハネケ(Michael Haneke)は本作を監督したと公言している.他者を蹂躙し,冒涜するためだけに存在する暴力の本質は,不条理である.カンヌ映画祭でのコンペ上映では,観客だけでなく,ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)も堪らず中座した.2人の青年パウルとペーターは,アンチ・インテリを行動原理とする究極の災禍として描かれる.人格は不統一,禍々しさに論理性はなく,その営みは悪夢的に現実性を欠く.

 ショーバー一家は毒牙から逃れる術をもたず,「なぜ自分たちがこんな目に遭うのか」の理屈を知ることなく,この世を去っていくのである.凶悪,悪辣,恐怖,意味不明,確実な死.そのすべてを引き寄せる2人の実行犯は,「生死を賭けたゲームをしよう」と夫妻に持ちかけておきながら,生存の可能性を微塵も認めていない.ハネケ特有のコンセプチュアルアートであるとしても,悪趣味すぎる.

 天敵に捕獲されたが最後,どれだけ抗おうとも運命は変わることはない.パウルとペーターと偶然に関係性を結ばされた悲運を詮索する暇もなく,一家は阿鼻叫喚に包まれる.直接的な暴力シーンは,カメラのフレーム外で為されているよう巧く処理されているが,結果としての残忍性が軽減されるわけではない.鑑賞者は,居たたまれなさだけを存分に味わうことになる.真の暴力は,快楽や滑稽さとは対極にある.その単純な事実を,虚構の作品では勝手な味付けで魅力的に脚色することが半ば常態化している.

 根拠など,実はどこまでも不在であるのだと,ハネケは本作で容赦なく見せつける.虚構であろうが事実であろうが,ディシプリンの誤魔化しはできない.ここまで見せつけられて,鑑賞者は現実の絶望に,さほど意味づけは必要なかったのだと再認識するのである.それを忘れさせてくれる愉しみの場に乱入してきた本作に,恨みと吐き気を同時に催すだろう.しかしこの作品を否定することは,誰にとっても勇気のいることといわねばならない.

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原題: FUNNY GAMES

監督: ミヒャエル・ハネケ

108分/オーストリア/1997年

© 1997 Wega Film