境界線と領有権の「なぜ」を詳説!人工島の拠点化,緊張する周辺国,衝突の危険と不測の事態.「南シナ海の歴史」は「世界の歴史」であり,その未来は世界の関心事だ.ここで起こることは世界の未来を決めることになる…歴史,国際法,資源,政治,軍事など,あらゆる角度から解説する必読書――. |
中国,台湾,ブルネイ,フィリピン,マレーシア,ベトナムが占有または領有権を主張している多くの岩礁,岸壁,島々から構成される<南シナ海>.古くから周辺諸国の海上交通路として知られた海域だが,特に南沙群島およびその周辺海域について各国が激しく領有権を争う.南シナ海の歴史的領有権をめぐる歴史学と地理学の重要な先行文献(英語)は,ディーター・ハインツィヒ(Dieter Heinzig)"Disputed Island in the South China Sea"(1976)およびマーウィン・サミュエルズ(Marwyn Samuels)"Contents for The South China Sea"(1982)の2つであり,さらにその典拠は1974年の中国共産党系雑誌に掲載された記事を元にしている.国連海洋法条約では,干潮時の海中の土地はいかなる国も領有権を主張することはできないとしている.それにもかかわらず中国は「歴史的権利」を主張――たとえばマックルズフィールド堆とジェームズ礁など――を繰り返し譲らない.
その歴史的解説で典拠とされているのは,ほとんど中国共産党の雑誌に記載された記事である.それも一九七四年一月に中国がパラセル諸島に侵攻した直後の記事‐一九七四年三月版『七十年代月刊』に掲載された一本の記事,および一九七四年五月版『明報月刊』の二本の記事なのだ.明らかに中立的な学術論文ではなく,中国の侵攻を正当化する目的で書かれたものだ
ベトナムやフィリピンなども,現実に実効支配している岩,岸,島について「歴史的権利」を主張し続けることを慣習化させている.本書は,米国の例外主義に悩まされることなく,独自の「9段線」を根拠にほぼ全域での管轄権を主張する中国,さらにベトナム,マレーシア,フィリピンなど南シナ海の覇権を主張する国々の主張と議論の要諦を詳述し整理する.領有の歴史的根拠を規定する旧い法体系と,国連海洋法条約で定められた新しい法体系の整合性が万全なわけではなく,従来の国際法の不均衡を正そうとする国連海洋法条約は,海の資源の領有権を沿岸国で調整させようとする意図がある.それではいつまで経っても解決の目途が立たないなら,国際司法裁判所で司法判断を委ねるべきなのだが,国際司法裁判で決着をつけるには関係国すべての同意が必要となる.
ある海域の領有権は特定の国・地域に属すると国際司法の裁断が下されたなら,領土の獲得(勝者)と剥奪(敗者)をめぐる決定が為されてしまうため,政治的リスクがどの国でも大きすぎる.したがって従来の国際法の慣例――征服・占領・時効・譲渡など――による秩序は望めず手詰まりを脱することはできないのである.かたやルールに基づいた秩序への挑戦に「航行の自由」を掲げて世界中の海へのアクセス権を確保したい米国にとって,太平洋をインド洋,ペルシャ湾,ヨーロッパに結ぶ重要なリンクでありグローバル・コモンズの戦略を実践する場として南シナ海を放置することはあり得ない.潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を搭載した戦略原潜を維持するためにも,排他的経済水域に付随する戦略的価値は高い.さらに米国だけでなくフィリピンやベトナムにとっても中国に備える防衛拠点としての価値は見過ごすことはできないであろう.
2016年7月にフィリピンからの提訴を受けてオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所が下した「中国が主張する九段線は国際法上根拠がなく国連海洋法条約に違反する」という判決を中国は当然のように無視し続け,台湾周辺や東・南シナ海,黄海など周辺海域で軍事演習を活発に展開している.南シナ海という名称に関して,ベトナムは東方海域を「東海」と呼び,インドネシアも南シナ海のほぼ南端の北方海域を「北ナツナ海」と独自に呼んでいて,緊張は高まるばかりである.海域の衝突の危険と不測の事態は,海洋資源の確保を巡って周辺各国の利害が錯綜するだけではなく,今のところ日本にとっても苛立たしいことに楽観できない.もし台湾有事が起きた場合,中国が南シナ海で海上封鎖や臨検を行うことは確実であろうから,ASEANや中東からマラッカ海峡,南シナ海を通過して日本に入る石油タンカーなどの航行妨害あるいは拿捕による被害は甚大となるだろう.
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Title: THE SOUTH CHINA SEA
Author: Bill Hayton
ISBN: 978-4-309-22645-3
© 2015 河出書房新社