『戦場のピアニスト』のエイドリアン・ブロディ主演のヒューマンドラマ.子供時代のトラウマから孤立した生き方を望む代用教員のヘンリー.新しく赴任した高校で,彼はさまざまな問題と事情を抱える女性たちに触れ,何かが変わるような感覚を覚える…. |
ミネソタ州の「チャーター・スクール法」成立後,同州セントポールに第1号チャータースクールが誕生したのは1991年.ポール・ウィリス(Paul E. Willis)は,かつてイギリスのセカンダリー・モダン・スクールの問題点を指摘し,発達した資本主義社会の公教育制度の内部に,労働階級の対抗文化は現れることを論じた.
ただし,教育現場の落ちこぼれ,校内暴力,動物虐待,モンスターペアレント,生徒の自死などは,独自的な教育的配慮を備えたチャータースクール,あるいはセカンダリー・モダン・スクール特有の問題現象ではない.「落穂拾い」になぞらえて理解されるべきは,人間の自尊心が荒廃されることへの純朴な危機意識なのだろう.本作は,デタッチメント(無関心,孤立)からコミットメント(関与,介入)への意識変革に直面する臨時教員ヘンリーの視点が主体であるかのように見せて,実は改善の提起を促す描写はない.
おそらくセメスターごとの契約を繰り返し,各校を渡り歩く臨時教員の立場としては,教壇に立つ時間以外に生徒と接する時間を持たないほうが心穏やかに過ごすことができるはずだ.蛙は口ゆえ蛇に呑まるるという.学力・所得・地域性の各面から脱スクリーニングされた子どもの「集積場」でヘンリーが論じるのは古典文学だが,教養を知の武具とするよう説く弁舌は弱い.彼の個人生活史としての幼少期のトラウマ,老人ホームで暮らす祖父との関係,自宅に転がり込んできた幼い娼婦エリカとの親密さもそれぞれが浅いエピソードでしかないのが惜しい.
風化していく教室の教卓に彼が佇み,エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)『アッシャー家の崩壊』を朗読することは,孤独のキャプション以上の意味をもちえていない.要するに,学校教育現場での諦観は,社会のほころびが端的に現れるパブリック・スクールの根底に横たわっていることを描きたい意図は分かるが,それぞれが噛み合っていないのである.
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原題: DETACHMENT
監督: トニー・ケイ
97分/アメリカ/2011年
© 2011 Tribeca Films