晴れて大学生となったジョシュ・ウィートンは,ラディソン教授の哲学のクラスでいきなり難題を突きつけられる.無神論者のラディソンは,学生に「神は死んだ」と,その存在を否定する宣言書の提出を求める.単位欲しさに言われるままにする学生たちを横目に,ジョシュだけは,クリスチャンである自分にはそんなことはできないと拒否する.するとラディソンは,ジョシュに神の存在を証明してみせろと迫るのだった…. |
アメリカ合衆国憲法修正第一条の国教禁止条項によれば,アメリカ合衆国議会は宗教に関する法律を制定しない.紙幣や硬貨に"IN GOD WE TRUST"と刻んでおきながら,合衆国最高裁判所は,これを宗教的な意味を持たせたものではないとして容認する.1920年代の論争的保守運動を経て,敬虔なクリスチャンといえば保守的な「福音派」が含意されるが,福音派はアメリカ全人口の約3分の1を占め,リベラルなプロテスタントを数で凌いでいる.
本作では,積極的無神論を標榜しながらも,学生の「信仰の自由」を一方的に圧殺しようとする愚物として教授を描いた.これにより,信教の自由は,神の存在を信じなくてよい権利も含まれている事実を無視する"救いようのない馬鹿"と彼を性格づけた.そのように描かなければ,ルートヴィヒ・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach)やスティーヴン・ホーキング(Stephen William Hawking)ら無神論者への反駁がかなわないからである.
そもそも,神の存在/非存在はいずれかが「真」であるという主張の論証が不可能であると同様に,真理は覆われ秘められているか,錯綜していて明らかとはなっていないとするアカデメイア派懐疑主義的立場,あるいは不可知論そのものが完全にスルーされている.本作は,無神論者を悪徳者,クリスチャンを善者という短絡的前提から製作され,プロパガンダ精神を飛躍させた悪質なデマゴーグというほかない.
自主製作物のなかでは,都合の悪い事実はないものとし,恣意的ロジックで敵をねじ伏せ,勝利を叫ぶ.古来より侵略者や卑劣な歴史修正主義者が好んだ手法である.実存にかかわるポレミカルな題材を扱ううえで犯してはならない不公正を働き,福音派の伝道のすばらしさだけを合唱する厚顔無恥.たとえ無神論者でなくとも,その不誠実な態度にはきっぱりと嫌悪と訣別の意思をもつべきであろう.
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原題: GOD'S NOT DEAD
監督: ハロルド・クロンク
114分/アメリカ/2014年
© 2014 God’s Not Dead. LLC.