■「時計じかけのオレンジ」スタンリー・キューブリック

時計じかけのオレンジ メモリアル・エディション (初回限定生産/2枚組) [Blu-ray]

 喧騒,強盗,歌,タップダンス,暴力.山高帽の反逆児アレックスは,今日も変わらず最高の時間を楽しんでいた――他人の犠牲の上にのみ成り立つ最高の時間を.モラルを持たない残忍な男が洗脳によって模範市民に作りかえられ,再び元の姿に戻っていく.多様な意味での恐怖を込めたアンソニー・バージェスの小説を,キューブリックが近未来に舞台を移し映画化.

 代文明と現代管理社会への根本的批判を提示したテオドール・アドルノ(Theodor W. Adorno)は,哲学や芸術といった人間の真善美を社会批判に関連させた.本作の原作者アンソニー・バージェス(Anthony Burgess)もまた,人間の内面を社会の体制に映し出すことが可能と考えていた.文学者であり言語学者でもあったバージェスは,ロシア語の影響を強く受けた英語を基礎とする人工言語「ナッドサット」で原作を著した.様々な言語の形態をこよなく愛したバージェスは,俗世間で用いられる言葉が絶えず変化する特性をもっているということ,また現状の文法慣習も錆びていくことも予測していたのだという.古語,廃語,卑語に生命力を与え,容易には踏み荒らされない構築言語で語るべき世界は,労働から解放され,一定の生活保障も享受できる機械的に管理されたユートピア.その退廃感に膂力を持て余す反逆児アレックスは,徒党を組み,夜な夜な強姦と超暴力に興じる.麻薬入りミルクを愉しめるミルクバー,だらしなく延びた客たちの中で,不敵な笑みを含むアレックス/マルコム・マクダウェル(Malcolm McDowell).

 生命力の象徴“オレンジ”は劇中に登場するものではない.アレックスら賊の狼藉は,無機質な近未来で生々しい人間性を刺激し,確かめ合っているように見える.仲間の裏切りで逮捕されたアレックスは,刑期の短縮のため「ルドビコ療法」の実験台を買って出る.これは瞬きを禁じ,暴力映像に過剰に曝されることで暴力を受け付けなくなる体質改善療法であった.マクダウェルは,このシーンの撮影時に角膜を傷つけられ,一時的な視覚障害に陥った.釈放直前の狂乱シーンでは肋骨にひびが入り,さらにかつての仲間から水責めに遭うシーンでは,撮影用空気パイプの故障から呼吸障害を起した.そのようにしてアレックスは体現された.性転換前のウェンディ・カルロス(Wendy Carlos)によるシンセサイザー処理のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンLudwig van Beethoven)《交響曲第9番》,エドワード・エルガー(Edward William Elgar)《威風堂々》,ジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Antonio Rossini)《泥棒かささぎ》.

 破壊行動の最中や合間に流れる荘厳な調べである.どれが欠けても,映画の印象は大きく異なったことだろう.アナログ多重録音によるシンセアンサンブルのインパクトは,絶大であった.さらに劇中,異色の役割をもたされた音楽は,アレックスが陽気に口ずさみながら女性を強姦する《雨に唄えば》.これは,当時マクダウェルが歌い通せる唯一の曲であった.この場面で異常なBGMが必要と考えたスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)は,マクダウェルの素養を採用したのである.バージェスの「ナッドサット」は,一般化されていない言語で語られる作品と現実との「距離」を意味すると同時に,時代や国の別で隔てられない「不変性」を強く意識した意味伝達装置である.人間の暴力性は,安穏と抑制できるものではない.しかしアレックスを取り巻く社会関係の寒々しさ,それは暴力を助長する十分な条件をもったものだ.

 暴力描写を世に問うことをキューブリックは意図していなかったと思われるが,本作の模倣を思わせる暴力事件がイギリス内外で発生したため,キューブリック本人の要請により1973年全ての上映が禁止となる.彼の他界した1999年,ようやくイギリスで上映が実現した.ところで,キューブリックの関与以前,本作の版権はたった500ドルでミック・ジャガー(Michael Philip Jagger)に売り渡されていた.アレックスをリーダーとするギャングを,ローリング・ストーンズの面々が演じるという奇抜な案も実在した.「自然と文明との融和」の機能不全が,ユートピアの諷刺には多く用いられてきた.本作は,そこに押し込められ悲鳴を挙げる「人間性」の陰影部を誇大に切り取り,演出して見せたのである.

スタンリー・キューブリック

芸術には暴力がつきものだ.聖書にもホメロスにもシェイクスピアにも暴力は登場する.そして多くの精神科医がそれらは模倣の手本としてではなく,カタルシスとして役に立っていると考えているんだ.今まで芸術作品が社会に危害を加えたことは一度も無い.逆に社会に対する危害の多くは自分たちが危険とみなした芸術作品から社会を守ろうとしてきた者達によってなされた.映画やテレビが無垢な善人を犯罪者に変えかねないなんていうのはあまりにも安楽的な発想である

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原題: A CLOCKWORK ORANGE

監督: スタンリー・キューブリック

137分/イギリス/1971年

© 1971 Warner Bros.