ノーベル賞作家の愛と勇気の手記."いつまでも子どものままの"わが娘と歩んだ母親パール・バックが,知能の発育が困難な子どもへの社会の無理解と偏見に悲しみ苦しみながら,人間性の尊重を真摯に訴えた不朽の名作――. |
パール・バック(Pearl S. Buck)の豊饒な文学作品『大地』の中では,王龍を父にした知的障害を抱える娘は,心優しい奴隷娘や血縁者の庇護の下で52歳まで生きた.「いつまでたっても大人にならない子供」と作品の中で名づけられたこの女児には,固有名詞すら与えられていないが,物語に占める存在は大きかった.28歳の「人生でもっとも健康で輝いていた時」,美しい李(すもも)のような息女キャロル(Caroline "Carol" Grace Buck)を出産したバックは,娘が3歳になっても話すことができず,無目的に思える動作が多く,青く澄んだ目の深みにはうつろな影が宿っていたことに疑念を抱く.
わたしは,何度も何度も泥沼にすべり落ちたのです.自然にすくすくと育ってゆく近所の子どもたちが,わたしの娘には決して話せないことを話したり,娘には決してできないことをしているのを見るだけで,わたしは打ちのめされたようになったものでした
キャロルがフェニルケトン尿症後遺症による重い知的障害をもって生まれたことを知ったとき,母子の苦悩の彷徨が始まった.時間と財力のゆるす限り,母は小児病院,心理学者を訪ね歩き,ロチェスターのメイヨー病院で小児部長から「希望を持て」と言葉をかけられる.それは,うんざりするほど繰り返される他者からの無責任な言葉だった.キャロルは,中国で9年間母親の手で育てられた後,ニュージャージーの養護施設に入所させられている.ただし,この子の存在をバックは努めて秘匿し続けた.
取り除くことのできない悲しみを抱きながら生活するには,いったいどうしたらよいかを悟る過程の第一段階は惨めで支離滅裂なものでした.…中略…いっさいのものに喜びが感じられなくなりました.風景とか,花とか,音楽といった,以前にはわたしが喜びを見出していたものも,すべて空しいものになってしまいます
相互扶助による介護ケアの仕組みはおろか,フェニルケトン尿症の治療法すら未確立であった時代には,インクルーシブ教育など今日の「障害観」は当然ない.東西の理解と女権拡張の社会活動に対する冷静な分析眼をもち得たバックであったが,周囲の無理解の中で娘を抱く煩悶を「身体の中で絶望的に血が流れ出すような感じであった」と書いた本書は,懺悔に似た吐露の連続である.1938年ノーベル文学賞を受賞後,バックは莫大な資金を投じて知的障害児のためのコテージを建設し,1973年に没した.その19年後,キャロルは73歳でそのコテージで亡くなったという.
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Title: THE CHILD WHO NEVER GREW
Author: Pearl Sydenstricker Buck
ISBN: 9784588682209
© 2013 法政大学出版局