「母さん,僕のあの帽子どうしたでしょうね?」“キスミーに行くんだ”ハーレムを飛びだした黒人青年ジョニーは東京のホテルのエレベーター内で鮮血に染まってしまう.“ストウハ”という最後の言葉と西條八十の詩集.刑事らは彼の過去を追ってNYへ.キスミーとは?ストウハとは?捜査が進むにつれ浮びあがる女流ファッションデザイナーの影.次々と明らかになる新事実…. |
本作の3年前に松竹=橋本プロにより製作された「砂の器」(1974)を先に鑑賞していれば,本作の魅力は半分どころか十分の一ほどに減じるだろう.テーマと主張は同系統ながら,悲壮と不条理の真実を背負う者を描くには軽々しい商業主義,さらに原作の魂のなさが致命的.人間の善意と悪意は常に同居して共同体が維持され,鉄の掟で人々を遇してきた.負うべき咎は,犯罪者とそれを生み出した社会にある.それは時に,悪の因果となって社会に帰する――「砂の器」と違い,そのようなリスクをまるで描ききれていない低劣さ.「犬神家の一族」(1976)に次ぐ角川春樹事務所製作第二弾の正体である.
物語の設定と展開が換骨奪胎であるから,秀作との比較の上で酷評されてしまうのである.ヒューマニズムの齎す感動も,大作主義であれば十分に支配下に置けるという傲慢な考えが随処で鼻につく.ニューヨークから一流モデルを招き,ホテルニューオータニで撮影された仰々しいファッションショー.これは山本寛斎の前衛的パフォーマンス.それにしてもそのシーンは冗長に過ぎる.人気絶頂のデザイナー八杉恭子(岡田茉莉子)の金満ぶりは安っぽく,賞金500万円を吊るして一般公募されたという脚本は,修正のしやすさという消極的理由で選ばれたもの.
新人の発掘には至らず,選ばれた作者はすでに名のある脚本家・映画監督の松山善三だった.ベテランの生み出した脚本であっても,誰もそれに惚れ込んでいない安直さのツケが,最終的には映画の印象に影響する.映画の大々的な仕掛けが無為に派手であるほど,皮肉にも定礎の脆さを物語ることになる.興業的には角川映画のブロックバスターと呼べる作品なのだろう.だが文芸性を無視した商業性の勝利は,人間の根源に流れる精神性の醜さ,尊さを描くことへの放棄であって,その観点では品位なき敗北なのである.
戦後30年を経た日米の歪が,本作に遂に投影されることはなかった.一方,幼い頃の記憶を西条八十の詩の一節に託した黒人青年ジョニー(ジョー山中),寡黙で陰のある棟寄刑事(松田優作).2人の好演は,本作で唯一といっていい見どころを成した.裏切りと葛藤の中で死にゆく者と,真相を究明する過程で忌まわしい記憶を呼び起こす者.青年同士の対話は物語内で実現されえなかったが,眉間に深い皺をくっきり刻んだ苦悩の表情は,確かに呼応関係にある.
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原題: 人間の証明
監督: 佐藤純彌
133分/日本/1977年
© 1977 角川映画