1920年代に流行した嗜眠性脳炎によって,30年もの間,半昏睡状態のレナードは,意識はあっても話すことも身動きもできない.彼に強い関心を抱いた新任ドクターのセイヤーは,レナードに試験的な新薬を投与し,機能回復を試みる.そしてある朝,レナードは奇跡的な“目覚め"を迎えた…. |
薄氷を踏むような不確実性の上に,実は科学全般は成り立っているのではないかと懸念させる事実の「生起」.神経学者オリバー・サックス (Oliver Sacks)の臨床体験からくる洞察力は,彼自身がよく引き合いに出す「19世紀の医学秘話」的な非公式の傷病録の意味合いが強い.そこに医の倫理やQOLといった概念,ヒューマニズムの観念を見出すことが出来るならば,喜怒哀楽と四苦八苦という人類普遍のテーマに対峙し続ける一領域が,まさに医科学であることが理解できる.1920年代に流行した嗜眠性脳炎という病は,進行性の痙攣というパーキンソン症状を呈し,脳機能が停止すると考えられていた.サックスをモデルとするセイヤー医師は,厚生行政の認可前の新薬レボジヒドロキシフェニルアラニン(L・ドーパミン)を最重症の脳炎患者レナード・ロウ(Leonard Rowe)に投与.すると30年間にわたり「休眠」状態だったレナードは,文字通り覚醒.同疾患の他患者にL・ドーパミンを投与したところ,続々と目覚めをもたらした.新薬の効果は劇的だったのである.ところが,薬の耐性と副作用から,嗜眠性脳炎患者にはチック症状,激しい痙攣が生じ,眠りに就くように世界を「去る」.それは従来「非定型分裂症」という粗雑なカテゴリーが不適切であったことを示すものだった.
常識的には人間らしい生活を束の間味わい,元の木阿弥となってしまった患者は,結局のところ近代医学に弄ばれたと見るべきだろうか.その部分に関するセイヤー医師の葛藤は,映画ではクローズアップされない.しかし,観る側に検討させる余地を残している.基礎医学の病理研究に従事してきたセイヤーは,ベインブリッジ病院の専門病棟で勤務する予定になかった.ミミズから髄液を抽出する研究で業績を積んできた研究者であって,臨床家としての医学者を志してはいなかった.病院は人手不足という理由と機縁から,セイヤーは慢性神経病患者専門病棟で勤務することになった.患者たちを実験台にしたことへの反省点は,一定程度,考慮されるべきではある.治験の結果が積み上げられ,ゆるやかな効果が確立されるまで待てば,劇的な奇跡の撤回という残酷な事態は避けられたかもしれない.けれども,セイヤーは生身の人間を忌避する冷酷な科学者として描かれていない.患者の状態をアセスメントし,回復を半ば諦めている家族の理解を得て投与を開始している.刀折れ矢尽きるまで希望は捨てないにせよ,か細くなった希望の糸をつなげようとしたセイヤーのスタンスは,咎められる範囲にはないと思える.目覚めたレナードは風を頬に受け,太陽のまばゆい光,潮騒や波濤のしぶきを目撃し,美しい女性に恋愛感情を抱く.闘病をモチーフにした映画では,病の進行の恐怖が人間性を侵食していく過程が語られる.症状を可能な限り正確に描写し,医療者が当事者にどう関与したかを時間軸に応じて展開させねばならない.
レナードと主治医セイヤーを演じたロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro, Jr.)とロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)の仕手は,過剰にならないまでの達意でコメントは不要.恋した女性ポーラとレナードの別れのダンス・シーンは,脚色であるが重要な挿入.この場面があることで,ペニー・マーシャル(Penny Marshall)の基本的視点が確たるものとしてこちらに伝わる.セイヤーですら直視に堪えなかったレナードの激しい痙攣は,ポーラとゆっくりと舞う瞬間だけは治まる.恍惚に浸るレナードの穏やかな表情.なんら医学的に根拠のない描写は,映画として忘れがたい名シーンであると同時に,人が人をケアする原理原則を恋愛感情の形を借りて表現したものなのだろう.おそらく,好意はもっとも信頼に転化されやすい感情である.純真なレナードの魂に,関与者は何をもって相対すべきなのか.
セイヤーの独白は,人間が存在する様相を医学の徒である人間がとらえ,安定させることの難しさと因業たる宿命を陳述したものだ.それは弁解,悲観のいずれでもない.レナードは再び眠りに入り,その後薬物投与により数度の短い覚醒を経て,1981年に死去したという.
現実は,何が正しく,何が間違っていたのかは謎なのです.ただ一つ,薬の窓は閉ざされましたが,別の目覚めがあったのです.つまり,人間の魂はどんな薬よりも強いのです
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原題: AWAKENINGS
監督: ペニー・マーシャル
120分/アメリカ/1990年
© 1990 Columbia Pictures Corporation,Parkes/Lasker productions