■「草原の実験」アレクサンドル・コット

草原の実験 【プレミアム版】 [DVD]

 その少女は,大草原にポツンと建つ小さな家で父親と暮らしていた.家の前には家族を見守る一本の樹.毎朝,どこかへと働きにでかける父親を見送ってはその帰りを待つ少女.壁に世界地図が貼られた部屋でスクラップブックを眺め,遠い世界へ思いを馳せながらも,繰り返される穏やかな生活に,ささやかな幸せを感じていた.幼なじみの少年が少女に想いを寄せている.どこからかやってきた青い瞳の少年もまた,美しい彼女に恋をする.3人のほのかな三角関係.そんな静かな日々に突如,暗い影がさしてくる….

 界第9位の国土面積,その大部分は乾燥したステップ地帯に覆われているカザフスタンの北東部セミパラチンスク.そこは旧ソ連初の核実験(1949年8月29日)から,ソビエト連邦の崩壊に伴う閉鎖(1991年8月29日)まで,340回の地下核実験と116回の地上核実験に使用された土地である.ソ連原子爆弾開発の最高責任者ラヴレンチー・ベリヤ(Лавре́нтий Па́влович Бе́рия)は,アメリカの核兵器プログラムへの諜報活動を経て,「セミパラチンスク一帯は無人地域」と主張し核実験場とすることを決定した.

 実際には,本作で描かれる親子のように,広大な草原と羊を糧に生活する民が多数存在していた.ソ連の輸送機An-2E(Wig),軍用トラックZIS-5,バイクIMZウラル.牧歌的で詩的な美しさに満ちた情景に反して,ソ連の威圧を覚えさせる機械が物々しい.100分近い映像は,一貫して人間の声を一切拾わない.しかし,そよぐ風,歩く馬の蹄の音,したたる水滴などの生活音は静かに響き,人物の台詞の無さを逆に際立たせる.世界第1位のウラン生産量を誇るカザフスタンの大草原はあまりに美しく,そこで暮らす内省的な少女の美貌は,2人の青年の闘争を呼ぶ.

 生活のため核実験場から羊や核物質を盗み出してきた男――少女の父親――へ施されるガイガーカウンター放射線量測定器具)の騒音,嵐の雷鳴音は不快な響きでしかない.何の前触れもなくそれらを何もかも吹き飛ばす壮大な「実験」.1953年から大規模に核実験が行われるようになるまで,セミパラチンスクの住民へ避難警告はなされず,被曝に対する影響は,ソビエト連邦政府当局によって長期間隠蔽されていた.

 人間の発する音もなく美しい情景とは別世界のような轟音と強烈な光.核エネルギーを弄ぶ人間の愚行は,本作では"太陽"の比喩的な描き方にメッセージを籠めている.被爆した挙げ句に死を迎える父は,健康だった時に「太陽を飲みこむ」素振りで娘と戯れるシーンがあり,日の出・日没の美しく特別な時間帯(マジックアワー)をおさめる場面が丁寧に描き出され,「実験」後にすべてを溶かすように沈む太陽とともにこの世界観は閉じる.原題"ISPYTANIE"は,人の心にとっての試練,また実験という2つの意味があるという.相互に象徴的な意味合いを感じ取ることができない邦題や英題"TEST"では,本作の問題意識は表現しきれないのである.

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原題: ISPYTANIE

監督: アレクサンドル・コット

97分/ロシア/2014年

© 2014 Igor Tolstunov’s Film Production Company