■「運動靴と赤い金魚」マジッド・マジディ

運動靴と赤い金魚 [Blu-ray]

 少年アリは直したばかりの妹ザーラの靴をうっかり失くしてしまう.家が貧しいために親にも言えず,アリの一足しかない運動靴をふたりで交代に履いて学校に行かなくてはならなくなる.ある日小学生のマラソン大会が行われることになった. 3等の賞品は靴.アリは妹のために靴を手に入れようと出場を決意する….

 スラム教の規範に則った政府検閲により,イランで上映可能な映画の基準は厳しい.たとえば,化粧を施した女性や,走る女性の撮影は許されない.また男性に限っても,ショートパンツ姿での外出は禁じられている.教育水準の低い国民は,そこに疑問すらもたない.そこで,イランでは「無害」な描写で検閲をクリアする土壌が生み出され,子どもを扱った映画が量産された.そのことが,政教一致の社会を描く映画的手法を強めている.イマーム(モスクの僧)のクルアーンに耳を傾ける父親は,ジュマ(金曜礼拝)で供されるチャイの準備をしながら咽び泣く.彼が管理する砂糖は,モスクで使われる特別なもので,カトリック教会や正教会における「聖体」に近い.

 2人の子どもを深く愛してはいるが,大人にとって重大なものがあると同様,子どもにも大切な物があることに想像が及ばない.本作は,子どもの側から,信仰による厳しい戒律がめぐらされた社会を見つめる.少年アリと妹ザーラのきょうだいの家は貧しく,運動靴(スニーカー)は高価な代物で親に容易くねだることはできない.家計事情を十分に承知している幼い2人が,知恵を絞って運動靴の補完と代替の手立てを考える.その姿がいじらしい.体育の時間には運動靴が必要だが,女の子用のパンプス,新しい靴,磨かれた靴を履く子もあれば,薄汚れた靴や古びてぼろぼろになった靴を履く子もいる.それぞれに履く靴は,家庭の経済事情を語るアイコンなのである.

大人の世界に迫り大人たちとコミニュケートするために子供を使っていると,自分は思う.……子供を通して描くことで,よりもっともらしく表せるのだ(マジッド・マジディ)

 自分の失くした靴を履いている子がいるのを偶然見つけたザーラは,その子の家が自分よりも貧しく,彼女の父親は視覚障害であったことを知る.靴を返してほしいと言い出せなかった妹のために,兄はマラソン大会3位の景品――運動靴――を狙って大会出場の資格を必死に獲得するのである.新品の運動靴があれば,女の子用の靴に取り換えてもらえるという目算がそこにあるが,純真ゆえにそれ以外の手段は考えつかない.優勝でも準優勝でも目的を達成できないアリは,妹に靴を与えたい一心で,ひたすら3位を目指して走り続ける――見事に入賞した彼の傷ついた足を,池にゆっくり浸したとき,無数の真っ赤な金魚が慰撫するように集まってくる.

 それは,たとえようもない美しさであるが,現実の厳しさに打ちのめされた彼にとってはどうでもよいことだったはずだ.けれども,健気な2人の兄妹に最高の笑顔を約束して終わる結末のやさしさもまた,忘れがたい.イランでは「赤色」は再生や蘇りなどのシンボルカラーであり,新年(3月20日)の祝いに合わせて池に放流されるという.新年はすぐそこまで近づいてきており,兄妹にとっての成長を約束する一連の出来事だったのだろう.子どもは大人の知らない戦場を日々生き抜いていることを,大人は普段は忘れきっている.その意識を喚起してくれる温かみのある作品である.

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原題: BACHEHA-YE ASEMAN

監督: マジッド・マジディ

88分/イラン/1997年

© 1997 Miramax Films