▼『ケイトンズヴィル事件の九人』ダニエル・ベリガン

ケイトンズヴィル事件の九人 (1972年)

 ケイトンズヴィル事件というのは,1968年にアメリカ合衆国メリ-ランド州のケイトンズヴィルという町で実際に起こった事件である.兵役事務所へ9人のカトリック教徒が白昼堂々と出かけて行き,徴兵書類を外へ運び出してガソリンをふりかけ,火をつけて燃やしてしまった.事前にマスコミに通告しておいたから,彼らはテレビカメラの前でそれだけのことをやっておいて,それからパトカーが駆けつけるのを待ち,逮捕連行されたのであった――.

 リーランド州の徴兵委員会から378通の徴兵書類を奪い去り,ガソリンとナパームに点火して燃やした「ケイトンズヴィル事件」.実行犯はイエズス会司祭,修道士,元メリノール宣教会司祭,元修道女,芸術家らのカトリック教徒9名であった.当時,ダニエル・ベリガン(Daniel Berrigan)はイエズス会司祭の立場にあった.その弟フィリップ(Philip Berrigan)はヨセフ会司祭.

我々の国を握りしめているマニキュアをした手の持ち主たちに,私は一言しか言うことがありません.我らを導け,我らを正しく導け,そうすれば法律は守られる.大統領は,これまでの大統領たちの出来なかった仕事をしてほしい.財界人の指示だけに従わず,一般人民の指図にも少しは従ってください.特権階級のことばかりでなく,貧乏な人のことをよく考え,アメリカのことばかりでなく世界のためにも尽くし,政治家,裁判官,法律家たちは法律のことのみ考えず,もっと正義について考え,法的儀礼にとらわれず人権を尊重してください

 1968年の10月5日から9日にかけ,連邦裁判所で審理され,「米国政府の所有物の破壊」「選抜徴兵局の書類の破壊」「選抜徴兵法」の妨害などを理由に有罪判決が下される.アメリカが北ベトナムへの爆撃を開始したのは1965年.大統領が法を破って戦争行為に手を染める事態を,9人の被告が法廷の場で「指弾」する.彼らの動機に理解の余地を認めながらも,裁判長はケイトンズヴィル事件は一個の事例として追及を緩めない.

焼き捨てた書類に含まれている青年たちは,まだ徴兵令を受け取っていません.彼らはもう決して招集されませんように.彼らが大砲の餌食になるためにベトナムに送られることがありませんように.私があそこに出かけた理由は人々の生命を救うためでした.人の命を救うためなら,人間の法律は破っていいのです

 落胆と義憤を隠さずに判決を受ける経緯を,ダニエル・ベリガンは全5景からなる戯曲に書き下ろした.1971年ブロードウェイでこれを観劇した有吉佐和子が,エリザベス・スミス・ミラー(Elizabeth Smith Miller)と共訳で翻訳に取りかかり,翌年には紀伊国屋ホールで邦語版として上演された.法廷の場で,一方的に要望を弁じたところで,一時の注目以上の実利は望めない.波紋を連鎖させる企図が乏しい点で,ケイトンズヴィル事件は組織的な反戦運動ではなかった.

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Title: THE TRIAL OF THE CATONSVILLE NINE

Author: Daniel Berrigan

ISBN: -

© 1972 新潮社