■「ドッグヴィル」ラース・フォン・トリアー

ドッグヴィル プレミアム・エディション [DVD]

 ロッキー山脈の平和な村ドッグヴィル.ある夜,謎の女グレースがギャングに追われ村に逃げ込んでくる.議会の許可を得て,村に滞在することになったグレースは,献身的に村人の仕事を手伝い彼らの信頼を得ていく.しかし,ある出来事をきっかけに,村人たちの善意は徐々にエゴと欲望に変貌していき,それはグレースへ襲いかかる….

 ルトルト・ブレヒト(Eugen Berthold Friedrich Brecht)の三文オペラに,「海賊ジェニー」という劇中歌が登場する.100人の海賊がやってきて,町でこき使われる女中の望みどおりに住民を皆殺しにし,女中を連れて再び海へと去っていった.このオペラに着想を得たのが,奇人ラース・フォン・トリアー(Lars von Trier)だった.「キングダム」(1994)では,怪異妖美な病院を舞台に偏執狂な人物群を炙り出し,「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000)は,絶対的な無力に苦悩させられる人物に絶望的な人生を歩ませた.あたかもネガティヴの中にしかトリアーの表現技術は備わっていないのかと想像するほどである.本作でも,軽妙さとはかけ離れた演出とシナリオによって,彼の奇巧は存分に発揮されている.

 映画の演出上,その異様なセットがまず目を引く.ロッキー山脈の麓,住人が23人しかいない村を舞台に,家や通りはすべて白線で囲った単純な図形で表され,そこには壁も天井も存在しない.舞台演劇よりもさらに簡素なセットになっている.この設定の村に闖入してきた1人の女と,村人たちの人間関係の描写のみで3時間近く鑑賞させる.CHAPTER1からCHAPTER9までの章立てで映画は構成されるが,予め何が起こるかは,その都度鑑賞者に示される.つまり登場人物に関する出来事は,どれほど残酷でおぞましい事態であったとしても,物語の進行上「不可避」であることを示しているのである.グレースという女性が村に現れ,村に滞在することを望み,彼女がその理由については口を閉ざすことに,村人は訝しがりながらも興味を覚えていく.グレースは村人の歓心を買うために,「不必要な仕事」に従事する.“やってもやらなくてもよい仕事”を〈村に置いてもらう〉ためだけに行うのである.

 一般に,名詞【grace】は,非常に多義的な意味を内包する.〈品のよさ,上品,優雅;優美;(文体・表現などの)美しさ,洗練〉という意味のほか,〈慈悲,寛大さ,寛容,寛恕〉がある.さらに〈徳;神の恩寵を受けている状態;選民であること〉〈長所,美点,魅力,道徳的な強さ,気骨〉という様々な意味がある.映画で村の異分子として登場するグレースは,語意の特質を全て持つ人物像となっているのである.また,少々深読みすれば,in a person's good [bad] gracesで《〈人に〉気に入られ[嫌われ]て》,と熟語でも用いられるごとく,気に入られることと嫌われることのいずれの評価でも使われる名詞になる.これを固有名詞に転用すれば,「ドッグヴィル」のヒロイン像が浮き彫りとなるだろう.慈悲深いグレースは,犬畜生にも劣る仕打ち(DOGVILLE)に遇されながらも,権力の象徴として現れたある人物と対話する.その中核にあるものは「哀れみ」「寛容」,そして「寛恕」.

 強大な権力をグレースは「傲慢だ」となじる.しかし,彼女のその態度こそ傲慢,と論駁され,グレースは村人の因果を償わせるには,相応の代償で報いることが必要であることを知る.トリアーは,この「ドッグヴィル」を"機会の土地アメリカ三部作"の初作と位置づけている.飛行機恐怖症の彼は,アメリカには一度も足を踏み入れたことはなく,これからもないだろう.かつて映画評論家に「行きもしないでその国が舞台の映画を撮影するなど茶番である」と評されたトリアーは,その時の憤りを「三部作」に託すことを決めたという.「『カサブランカ』を作った映画人は,一度もカサブランカに行ったことがないはずだ」というのが彼の1つの信条でもある.トリアーは,続編「マンダレイ」(2005)と「WASHINGTON」でグレースのその後を描くことを決めているが,「機会の土地アメリカ三部作」の最終作「WASHINGTON」は,無期限延期で凍結状態に置かれている.本作でグレースをを華麗に演じたニコール・キッドマンNicole Kidman)は降板,「マンダレイ」は,ブライス・ダラス・ハワード(Bryce Dallas Howard)が演じた.

++++++++++++++++++++++++++++++

原題: DOGVILLE

監督: ラース・フォン・トリアー

177分/デンマーク/2003年

© 2003 Lions Gate Home Entertainment