■「セラフィーヌの庭」マルタン・プロヴォスト

セラフィーヌの庭 [DVD]

 1912年,フランス・パリ郊外のサンリス.貧しく孤独な女性セラフィーヌの日々を支えていたのは,草木との対話や歌うこと,そしてなによりも絵を描くことだった.ある日,彼女はアンリ・ルソーを発見し,ピカソをいち早く評価したドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデに見出され,その後,彼の援助のもと,個展を開くことを夢見るようになる.そんな中,第一次世界大戦が起こり….

 代プリミティブ主義(素朴派)の画家セラフィーヌ・ルイ(Séraphine Louis)の絵は,アカデミックに涵養された技巧とは無縁で,独特の気迫を醸している.微細な点は翳に溶け込んでいても,その存在感は異様である.画材を自費で購入することも難しいセラフィーヌは,誰に教わることもなく植物体液や動物の血液,盗んだ灯油で独創的な色彩と筆致を生み出す.そのプリミティブな生命力,躍動感.創作の閃きは,セラフィーヌの語るところによると「神の啓示」.

 画商ヴィルヘルム・ウーデ(Wilhelm Uhde)に見出され画壇に名を連ねるセラフィーヌは,世相に翻弄される芸術の宿命的物悲しさを実感するには遠い.ウーデの助力がなければ,人を魅了する舞台に立つことはできなくなる.ウーデはドイツ人であったため,第一次大戦を前にフランスを去らなければならず,大恐慌が芸術という営為から価値を剥ぎ取ろうとする.天賦の才を社会の荒波から防衛できなかったとき,その末路は無惨なものだ.元来,孤高の精神世界の住人だったセラフィーヌを,実社会に引きずり出したことの因果というものを思わせる.

 彼女は自分だけのチャンネルで神の声を聞き,身を捧げようと努めていた.そこに現実の「ノイズ」が介在したとき,無垢な精神は荒廃し破滅にいたる.セラフィーヌの“庭”は,彼女以外の誰にも属するものではなかった.生い茂る樹木や水辺で,独自の語らいに没頭する芸術家の態様,そこから生み出される絵画作品の真価を,第一級の審美眼で世間に導くことはできた.しかし,誰も庇護する術を知らなかったことが悲劇だったのだ.本作が一貫して,セラフィーヌの絵に華美なスポットを与えなかった部分に意味を求めるなら,芸術への渇望と絶望,その境界に位置する毀れやすさということになるだろうか.

 ヨランド・モロー(Yolande Moreau)は,マルタン・プロヴォスト(Martin Provost)の強い希望でセラフィーヌ役を引き受けた.外見的特徴も似通っているが,セラフィーヌの内面から突き上げるような気性の激しさ,芸術的衝動の再現に精魂を注ぎこんでいる.精神に変調をきたし1927年から病院に入ったセラフィーヌは,1942年に亡くなった.いかなる状況に置かれても,自然との接触から無為に安らぎを得る彼女の様子は揺るいでいない.その描写を淡々と,だが繊細に提示する展開と結末に,不思議な安堵というべき感情が涌き上がってくる.

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原題: SERAPHINE

監督: マルタン・プロヴォスト

126分/フランス=ベルギー=ドイツ/2008年

© 2008 TS Productions/France 3 Cinema/Climax Films/RTBF